9月6日(木)② 生徒総会
私自身はそうは思っていないのだが、アカリによれば私は真面目な部類の生徒にカテゴライズされるそうだ。ジョハリの窓ではないのだが、自分から見た自分と、他人から見た自分というものにズレが生じるのはしょうがないとは思える。しかし、アカリには何度も言ったのだが、私だって普通の人間だ。地方の公立高校に通う、只の女子高生だ。
だからという言い訳をするわけではないが、私だって、授業中に考えることは他の皆と変わらないと思う。
「授業ダルいなー」
「早く終わらないかなー、まだ五分しか経ってないの?」
とか、私だって思ったりする。どの授業でとかいうのは、担当の先生に悪いので言わないけれど。
しかし、今日という日ほど、どんなに退屈でも構わない。授業が終わってほしくないと考えたことはなかった。
一時間目の英語と二時間目の数学はいつもと変わらなかったと思う。しかし、三時間目の現代文になると様子が違ってきた。
みぞおちの当たりがキュッと締め付けられるような痛みを感じた。
四時間目の古文になると、その痛みが段々と増してきた。
昼休みになって、お弁当を食べようとしたけれど、なかなか箸が進まず、結局半分以上を残してしまった。その原因は明らかだった。
今日の生徒総会。
生徒会役員、生徒会各委員、文化祭実行委員、体育祭実行委員の各メンバープラス体育系クラブ、文化系クラブの部長が集まって行われる会議。畏れ多くも、その席で私は文化祭の中止を訴えようとしているのだ。胃のひとつも痛くなろうというものだ。
そうこうしている内に六時間目終了のチャイムが鳴った。それからあっという間にホームルームも終わった。
クラスメイト達は部活に行ったり、文化祭の準備に向かったりと行動は三々五々だ(私のクラスはヤキソバ屋をやるので、模擬店はグラウンドにある)。しかしながら、私はこれから生徒総会に乗り込んで、文化祭の中止を訴えなければならない。そのことを考えると本当に頭が痛い。私はリュックを背負うと一人、総会が行われる生徒会室へ急いだ。
生徒会室に向かう途中、急に呼び止められた。
「おいナナミン」
振り返った先に見たのは、心配そうに私を見つめる目だった。ジュンもこういう目をするんだ、私は意外に思った。
「今から生徒総会か?」
「ええ、そうよ。これから文化祭の中止を訴えてくるの」
「別に無理して中止しなくてもいいんでねえの?」
ジュンが言う。
「そういうワケにはいかないじゃない。学校にあんな危険な怪物がいるんだから。黙っていることはできないわ。文化祭実行委員長としても、そして人としてもね」
そうだ、自分の周りに空飛ぶサメなんていう危険なものがうろついているのだ。看過しておくわけにはいかない。いくら精気を吸うだけで、命に別状はない、なんて言われても放っておけるわけがないじゃない。
「そのことなんだけどさ」
と、ジュン。
「チカゲに料金安くできないかって相談してみねぇか? あいつだって鬼じゃねえんだからさ。泣きついたら何とかなるかもしれないぜ」
「それは望みが薄いと思うわ」
「どうしてだよ?」
「彼女は彼女で、退魔師っていう仕事で食べてるわけじゃない? いわば自分の生命線よね。そんな自分のアイデンティティに関わることなんだから、そんなに簡単に値引きはしてくれないと思うわ」
「だけどよ……」
ジュンは不満そうな顔だ。私のことをそこまで心配してくれるのは正直、嬉しい。しかし、楽観的な考え方は禁物だ。私の見たところ、チカゲちゃんは妥協はするまい。こちらがどんなに頼んでも、たとえ土下座しようとも値引きには応じてくれまい。
「そのとおりですよ」
私のその考え方の正しさを証明するかのように凛とした声が響いた。
私とジュンの頭の上。階段の上からその声は降ってきた。
「全く、なんでもかんでも、お願いしたら自分の思い通りになるなんて、とんでもない思い違いですよジュンさん?」
階段を一歩一歩降りながら、冷静にチカゲちゃんは言う。
「むぅ」
ジュンは腕組みして口をへの字に曲げた。彼女はまだ納得いってないらしい。
「でもよ、実際問題イチ女子高生が五百万の借金なんて現実的じゃねぇだろ?」
「だから私は、ナナミさんが就職してからでも構わないと申し上げたじゃあないですか」
「それって最短でも高校を出るまでだから、一年以上待たなきゃならないだろ」
「この事件が解決してからでもいいので、アルバイトして少しずつ返してもらっても構いませんが」
「それはそれで現実的じゃねぇだろ。大体アルバイトの時給なんてたかがしれてる。五百万返すのに、一体何年かかるんだよって話だ。それにお前はナナミンが働きだしてから返してもらってもいい、何て言うけど、もしナナミンが就職できずにニートになっちまったらどうすんだよ? 完全に取りっぱぐれちまうぜ」
私の人生に勝手な予想を立てないでほしい。一応、大学は行く予定だし、大学を出たら働こうと思ってる。ニートをする予定もない。
「むぅ。それはそうですよね」
私には、ジュンの主張はかなり苦しいもののように聞こえた。しかし、チカゲちゃんからしてみれば、道理の通ったものだったらしい。チカゲちゃんは、おとがいに手を当て、考え込むような仕草を見せた。
「よし、じゃあこうしませんか」
顔をあげてチカゲちゃんは言う。
「じゃあ私は除霊しません」
え? いやそれはそれで困るんだけど。
「早とちりしないでください。あくまで『私は』ということです」
どういう事なのかしら?
「つまり、私は山鰐を退治しません。ナナミさん、あなたが退治してください」
「え? どういう事よく分からなかったのだけれど」
「そのままの意味ですよ。あなたが山鰐を倒すんです」
えぇーーー? そんなの無理に決まってるじゃない! もしかして、ジュンがあまりにもゴネるもんだから怒っちゃったの?
「違いますよ、それくらでふて腐れるほど子供じゃありません」
チカゲちゃんは眉根に皺を寄せた。
「それにナナミさんが山鰐を退治するっていうのも別に無理な話じゃありませんよ。幸い、山鰐はそんなに力の強い妖怪じゃありませんし。私も最大限サポートします」
そんなこといったって……。
そこへジュンが口を挟んできた。
「ちょっと待てよ。なんで急にナナミンがあのサメを退治する流れになってんだよ」
「そうですね。ちょっと説明が足りませんでした」
まずは、とチカゲちゃん。
「普通に除霊したら、通常の仕事料プラス特急料金その他諸々で、計五百万円の料金をいただくところです」
うん、それは昨日聞いた。
「でもこれは私が直々に除霊したときの料金で、依頼人が自分で除霊するときの料金ではありません」
うん? どういうこと?
「私たちの会社は通常の除霊コースとは別に、お客様自身の除霊のサポートをするコースもあるのです。そっちのコースで依頼していただければ、五百万よりは割と安くなると思いますよ」
どういうことかしら? イマイチよく分からない。
「それってアレか? パソコンが調子悪くなって、店に持ち込んで直してもらうより、電話でアドバイス貰いながら、自分で直した方が安くつくみたいなもんか?」
「まぁそんな所ですね」
ジュンの分かりやすいような分かりにくいような例えを聞いて、私もなんとなく分かったような気になった。取りあえず、そっちのコースで申し込んだら、五百万円よりは安くつくことだけは分かった。
でも、そんなコースがあるならあるで、最初から言って欲しかった。
「うーん、これは昨日、説明しようか迷ったのですが、結局止めておきました。やはり素人が除霊をするのには不安要素が多いので……ウチの会社でも結構な常連さんにしか提案はしないんですよ」
素人が妖怪退治をするのは、色々と問題があるのだろうということだけは察した。でも、チカゲちゃんの提案は、私にはかなり魅力的に聞こえた。チカゲちゃんに依頼するよりも、字武運でした方が割安になるのだ。ちなみにいくらほど安くなるのかしら?
「そうですね、えーと」
チカゲちゃんはブレザーの内ポケットからスマホを取り出した。おそらくは計算アプリを立ち上げたのだろう、ディスプレイの上で人差し指が目まぐるしく踊った。
「これくらいになります」
どれどれ……。
…………。
……。
画面に表示されていた金額は、五百万よりははるかに安くなっていた。しかし、高校生にはとても支払不可能であるという点では同じだった。これは今すぐ返答というわけにはいかないな。それに、そろそろ生徒総会の時間も近づいているし。
私はチカゲちゃんに取りあえず保留する旨を伝え、生徒会室に向かう事にした。でも保留しようがしまいが、答えは同じではないだろうか。五百万払って丸ごとお任せにするよりも、自分で山鰐を退治した方がいいだろう。そんなこんなを考えていたら、生徒会室についた。
私が到着したとき、生徒会室はすでに半分以上の席が埋まっていた。会議が始まる前だからだろう、出席者はめいめい雑談していて、部屋の中は騒がしかった。黒板の前に机が並べられ、そこに生徒会役員が陣取っている。真ん中の議長席にいるのはもちろん宮本先輩だ。何かの資料だろうか、ファイルに目を落としている。私が来たことに気付いて、こっちに手を振ってくれる。そのにこやかな笑顔が胸に刺さる。先輩ゴメンなさい。私は今から生徒総会を無茶苦茶にするかもしれない発言をします。
「ではただいまから生徒総会を始めます」
しばらく経ってから、司会進行役が生徒総会の開会を告げた。司会の男子生徒は生徒会庶務の人だ。以前に生徒会室で見たことがある。部屋の前方には生徒会役員が並んで座っている。中央が生徒会長の宮本先輩。
私は手元の進行予定表に目を落とす。
「じゃあ最初は来年度の生徒会役員の信任決議から……」
司会が予定表の一番最初の議題を読み上げる。しかし。
「待ってください!」
私は立ち上がる。皆、何事かと私の方を注視する室内にいるすべての人の目が私一人に集中している。その視線の熱で燃え上がりそうだ。
「文化祭実行委員長の有沢さんですね。どうしましたか?」
司会役が私を怪訝そうな目で見る。宮本先輩も目をパチパチさせながら私を見る。ああ、心臓が爆発しそうだ。しかし、言うべきことはきちんと言わなければならない。それがどんなに荒唐無稽なことでもだ。文化祭の参加者全員の安全に関わることなのだから。例え私がどんなに笑われようとも、バカにされようとも、宮本先輩から失望されようとも、私にはそれを皆に伝える義務があるというものだ。
私は息を大きく吸い込み、そして貝のように閉じていた口を開いた。
「実はここにいる皆さんに、お伝えしなければならないことがあるんです」
部屋中が、風の吹いたすすき野のようにざわつく。
「実はこの学校の敷地内に、山鰐という、ようか……」
そこまで言いかけたときだった。
まるで爆弾でも落ちたかのような轟音が、窓の外から聞こえてきたのだった。