9月6日(木)⑤ アスカからの指令
宮本先輩の顔は憔悴しきっていた。
目の下には黒いクマができている。顔は血の気が引いていて、流れるようだった黒髪も魔女のように乱れていた。昨日からの混乱に対応していたのだ。当然といえば当然かもしれない。
昨日から、私も含めた文化祭実行委員は、昨日の出来事の収拾に手を取られっぱなしだった。とにかくけが人は全て病院へ運び、壊れた設備をかたしていったのだ。それだけで昨日の大半が潰れてしまった。それだけではない。片付けが終わった後も、山鰐のことについて、私とジュンとチカゲちゃんが呼び出されて、生徒会、先生、OB会から散々事情聴取されたのだ。さすがの私も疲労困憊になってしまった。
しかし、宮本先輩の方は疲れ切ったでは済まないだろう。
昨日から生徒会はてんやわんやの大騒ぎだった。それはそうだろう。グラウンドに突然、空を飛ぶサメが現れて、生徒を襲ったあげく、皆が心血を注いで準備した模擬店を破壊していったのだから。まともな神経をしていたら、信じられるはずがない。
それで、昨日から明けて今日、菊川高校大会議室にて、生徒会、教師、OB会によって、今後の対応が協議されているのだ。
私が宮本先輩から呼び出されたのは、その会議が行われているはずの時間帯だった。
「先輩、会議はどうしたんですか?」
「今ちょうど休憩時間に入っのよ。もう一時間半ぶっ続けで話し合っているものね。いい時間だわ」
私が先輩に呼び出されたのは、生徒会室。ただし、前に来たときのように生徒会のメンバーがいるようなことはなかった。部屋の中にいるのは私と先輩だけだ。
「それでナナミ」
先輩は会長席のイスに腰掛けながら、ゆっくりと話した。
「あのサメを退治する方法はあるのかしら」
先輩の表情は暗かった、疲労が溜まりきったせいだろう。先輩の目の下には黒いクマが刻まれていた。しかし、それもある種の儚さの演出として、先輩の美しさを引き立てているかのようだった。
「もちろんです先輩。もうすでに専門の退魔師に依頼しました。すぐに退治してくれるそうです」
私が五百万の借金を背負ったことは言わないほうがいいだろう。
「そう、それは良かったわ……。でもナナミ、正直に言って頂戴。今日、明日中にあの怪物を退治することはできるのかしら?」
宮本先輩は噛み付くように私の目を見据えて訊いてくる。
その質問は答えづらかった。チカゲちゃんは言っていた。山鰐は力が弱いが、とても狡猾だと。かなりの強敵と見ていいだろう。
「先輩、それについては確答できません。私が依頼した退魔師によれば、あのサメはかなりの難敵らしいです。もしかしたら一週間以上の時間がかかってしまうかもしれないそうです」
「そう……」
先輩はおとがいに手を当てて、考え込むような仕草を見せた。
「お願い、明後日までにあのサメを退治することはできない?」
「それは……今言ったように分かりません、としか言いようがないです」
「ナナミ、貴女も手伝ってあげなさい。そして明後日までにあの山鰐とかいう妖怪を退治して頂戴」
先輩は私の目を強く見据えて言った。
「いえ、これはお願いじゃあないわね。命令、いや至上命令よ。あのサメを必ず退治しなさい。そして文化祭を必ず開くのよ。創立八十周年の記念行事。あんなわけのわからない怪物のせいで中止になったとあっては、我が校の恥だわ」
「分かりました、先輩。私たちで必ずあの山鰐を退治してみせます」
「頼んだわよナナミ。私は私で、先生方やOB会のお偉方を説得しておくから、あなたはサメ退治に集中しなさい、いいわね?」
「じゃあ学校に泊まり込む許可をもらえませんか?」
そんな許可をとる理由はもちろん、山鰐を退治するためだ。先輩は特に何も言わなくても全てを察してくれたようで、ただ一言「いいわよ」と頷いた。
「ナナミ、頼んだわよ。必ずあのサメを退治して頂戴。文化祭を開けるかどうかは、全てあなた達にかかっているのよ」
そこまで言うと先輩は踵を返して、生徒会室を出ていった。おそらくは会議室に戻ったのだろう。今言っていたように、これから先輩には上の人間を説得する仕事が待っているのだ。
あとには私だけが残された。
そう、私に課せられた使命は、あの山鰐を必ず退治すること。そして無事に文化祭を開催すること。それだけだ。
決意した私は、生徒会室を後にした。