9月6日(木)⑥ 集合
壁の時計はもうすぐ四時四十五分になろうとしていた。
ジュン、チカゲちゃんとの待ち合わせの時間まであと十五分。まだ約束の時間にはなっていない。とはいうものの、なんとなく落ち着かない。それは私が学校に巣くう妖怪を退治するという特殊な使命を背負っていて、その期限があと二日と少ししか残っていないからだろうか。それとも、待ち合わせ場所にした、この駅前のハンバーガーショップの喧騒のせいだろうか。
周りには私と同じ高校生くらいの客でごった返していた。めいめい何か楽しそうにお喋りしている。できれば私も彼や彼女たちのように、かしましくたわいもない会話に興じてみたいところではある。だが今日はそうはいかない。
今日、私がこのハンバーガーショップに来ている理由は、今回の山鰐退治を手伝ってくれる二人の助っ人、相馬ジュンと服部チカゲの二人と待ち合わせているからだった。
まぁ正確に言えば、私がチカゲちゃんに山鰐退治を依頼したので、チカゲちゃんを私とジュンが手伝うという形になるのだが。
今回、私はチカゲちゃんに無理を言って山鰐退治に同行させてもらえることになった。理由はもちろん、山鰐がキチンと除霊できたかどうかを確認するためだ。チカゲちゃんの腕を疑うわけではないが、今回の山鰐退治には、文化祭が開催できるかどうかがかかっているのだ。
「サメを退治できたかどうか、ナナミが確認しなさい」
と宮本先輩から厳命されている。しかし、先輩から言われていなくても、今回の除霊には付き合うつもりだった。色々と紆余曲折はあったものの、チカゲちゃんを雇ったのは私なのだから。そして私自身、何としても文化祭を開きたいと思っている。なので事の顛末は自分自身の目で確認したい。
「ナナミン、お待たせ」
背後からハスキーな声が降ってきた。
振り返ると、ジュンがトレー片手にこちらを見下ろしていた。
「わりーわりー。待った?」
全然悪いとも思ってなさそうな表情のまま、ジュンは私の向かいに座った。
「そんなに待ってないわ。五分くらい。それよりもジュン……それ今から食べる気!?」
ジュンの目の前のトレーにはハンバーガーの包み一個とLサイズのポテトとコーラ、おまけにアップルパイまで乗っていた。
「いやー今日は部活がなかったからさ、あんまり腹減ってねぇんだよね。だから今日は少な目にしといた」
「これで少な目なら、普段はどれだけ食べてんのよ……」
そら恐ろしくなってくるわ。
ジュンの言うとおり、今日は部活が全面的に中止となった。今日の昼間に山鰐が出てきて、グラウンドの模擬店を荒らし回った事件のせいである。
あの事件を受けて、現在生徒会、教職員、OB会などが今後の対応を協議中である。
そして、次の日曜までに私たち三人が山鰐を退治できないときは……残念だが文化祭は中止になるだろう。空飛ぶサメなどという危険なものがいる場所に、沢山の人を集めることはできないからだ。つまり、文化祭が開けるかどうかは、ここにいる私とジュン、そしてこれから合流するチカゲちゃんの三人の肩にかかっているのだ……けど、目の前でおいしそうにチーズバーガーにかぶりついているこの空手女は、そのことが分かっているのかしら? そもそも、この娘なんで私につきあって、山鰐退治に参加しようとしたのかしら?
「ねぇジュン」
「何?」
ポテトをザラザラと口に流し込みながら、ジュンは私を見る。
「どうして今回、私と一緒に山鰐退治につきあってくれるの?」
「そんなの決まってんじゃん。暇だったから」
私は思わずずっこけそうになった。暇だからって……。そんな理由で危険な妖怪退治に参加しようとする? しかし私の思惑と、ジュンの考えていることはズレがあるようだった。
「まぁ暇だったっていうのは言い過ぎかもしれないけどよ。ナナミンだったら手伝ってやってもいいかなって思ったんだよ」
「え、私とジュンって知り合ってそんなに経ってないじゃない」
「まぁそうだけどよ。うーん、なんて言っていいのかねぇ、カケルの姉ちゃんだからかなー」
「カケル? あいつがどうしたのよ」
私は実弟の名前が出てきたので、少しながら動揺してしまった。
「カケルって良いヤツじゃん? 面倒見がいいし、何でもすぐ気がつくし、誰にでも分け隔てなく優しいし。そんなカケルの姉ちゃんだし、ナナミンって良いヤツなんだろーなって思ったんだよ。だから危ないって言われたけど、手伝っても良いかなーって思ったんだよ」
「ジュン……」
無法者の口から出てきた言葉に、私は思わず胸が熱くなる思いだった。この娘、何も考えていないようでいて、けっこう情に厚い娘だったのね……。
それからしばらく、私とジュンはジュースを飲んだりしながらチカゲちゃんを待った。
私はジュンの横の席のバッグに目をやる。ジュンは、大きめのスポーツバッグを持ってきていた。学校に泊まり込むということで、周到な準備をしてきているのだろう。なんでも入っていそうだ。ちなみに私は、中学のときに、ハイキングに行くときに買ったリュックサックを持ってきていた。けっこう大きめのはずだったが、ジュンのスポーツバッグに比べると見劣りしてしまう。
ジュンはセットを丸ごと買っていたが、私はストロベリーシェイクひとつで十分だった。ジュンから「ダイエット中か?」などと冷やかされたので、取りあえずスネを蹴っておいた。
「まったく、文化祭ができるか否かの瀬戸際だっていうのに、よくそんなに食べられるわね」
「神経が細いなーナナミンは」
それからしばらくして、チカゲちゃんから電話がかかってきた。
店の前にいるので出てきてください、というので、私はわずかに残ったシェイクを飲み干した。ジュンは半分くらい残っていたポテトを、ザラザラと口に流し込み、さらにそこにコーラを一気に飲み干した。
店の外でチカゲちゃんと合流する。
「ついてきてください」というチカゲちゃんの後を追う私とジュン。一体どうしたというのだろう、と怪訝に思いながらしばらく歩いていると、コインパーキングに着いた。
するとチカゲちゃんは精算機でお金を払い、駐車スペースに停めてあった白いワンボックスカーの運転席に乗り込んだ。しばらくすると、キュルキュルという音とともに、乾いたエンジン音が響いた。ゆっくりと駐車スペースから出てくるワンボックスカー。運転席側のウィンドウが開いて雪のように白い顔がのぞいた。
「乗ってください」
え……とこれはどういうことなのかしら? 混乱する頭で私はなんとか、自分の中の一般知識を思い出す。私の記憶が確かならばクルマの運転免許がとれるのって十八歳からよね!?
私のそんな困惑もよそに「うひょー! これどうしたんだよ!? チカゲんちのクルマかよ!?」と空手少女は興奮気味だ。
「うちの実家が妖怪退治に使っているクルマです。今回の山鰐退治のことを言ったら快く貸してくれました。あ、免許のことなら心配しないでくださいね。警察に怒られるようなことはありませんので」
チカゲちゃんはニッコリ笑う。
どうやら免許のことに関しては問題がないらしい。でもそれはそうとして、チカゲちゃんのことがさらに謎に思えてくる。チカゲちゃんっていくつなんだろう? もしかして私よりずっと年上とか。
「ナナミさんとそんなに違いませんよ」
急に私の心中を読まれたようなことを言われて、ドキッとする。そんなにってことは、ひとつかふたつくらい? ってことは今、十八か十九ってこと? 免許とれるってことは高校生じゃないわよね、あ、でも誕生日来てたらオッケーなのか、でも教習所通うことも考えたらどうなんだろう?
「早く乗ってください。学校に向かいますので」
うじゃうじゃ考える私に、チカゲちゃんが促してきた。確かにチカゲちゃんの言うように、今は人のことを考えている余裕はない。
散歩中の柴犬のようにはしゃぐジュンに続いて、私も白いワンボックスカーに乗り込む。
「う……わぁ」
クルマの中には異様な景色が広がっていた。
おそらく最初は座席は六つあったのだろう。しかし、一番後ろの席二つをどかして荷物置き場にしている。その荷物置き場には、おそらく除霊に遣うものだろう、水晶のような透明なガラス玉、お札、木刀なんかが置いてある。
「ちらかっててごめんなさい。邪魔なものはどかしてもいいんで、適当に座ってください」
私とジュンは後部座席に乗り込んで、車内を見渡す。
「あーアタシもクルマ欲しーなー。高校卒業したら、免許とろっかなー」
猫みたいにキョロキョロしながら、ジュンが言う。
「それではお二人とも、出発しますよ」
私達の返事を待たず、チカゲちゃんはアクセルを踏み込んだ。