9月7日(金)③ チカゲの作戦
「では、これからの作戦を言います」
チカゲちゃんが改まって話し始めた。
「これからやるのは、釣りです」
「釣り?」
私とジュンの声が見事にハモった。
「そう、山鰐といえども魚の妖怪。退治に一番有効な手は、釣り上げることです」
あそこまで巨大化したサメを、単純に魚と言っていいのかどうかはわからないけれど、専門家のいうことなんだから、素直に聞いておいた方がいいだろう。
「じゃあどうやって釣り上げるんだよ」
ジュンが当然の質問をする。
「これです」
チカゲちゃんが胸元から小さな包み紙を出した。授業中に手紙を回すときに使うみたいなヤツだ。
開くとその中身は、小さな砂粒がいくつも入っていた。
「お、おい。こりゃあ……」
「そうです。これも結界石です」
「これが? 随分と細かいのね」
「結界石は用途によって、様々な形態があります」
私は、昨夜の青と赤の結界石を思い出していた。
「この結界石は黄色だな」
ジュンの言うとおりだった。昨夜使った結界石と違って、今チカゲちゃんの手の平の上の結界石は、まるで卵の黄身のような色をしている。
「これは餌です」
「餌?」
ジュンが目を丸くして訊いた。
「そう、この結界石には妖怪の好む『気』が込められています。つまり、これで山鰐をおびき寄せることができるんです」
なるほど。
「このクルマに乗りながら、学校中にこの結界石を撒いてまわります。そうして出てきたところを……」
「一気にぶっ叩くってワケだな」
ジュンが両方の拳をガツンと撃ちつけた。
相手の好きなものをバラ撒いて、ノコノコと出てきたところをやっつける――まさに釣りね。
「よし、そうと決まりゃ、早速行動しようぜ」
ジュンが言うが早いか、チカゲちゃんがエンジンをかけた。
九月の中旬にしては暖かい日だ。頭上には青い空と白い雲。全開にした窓から入ってくる風が心地よい。最近は肌寒い日が続いていたが、今日に限っては半袖で過ごせそうなくらい暖かかった。
「おーいナナミン。次の結界石くれや」
不意に頭の上から野暮な声が降ってきた。ふと横を見ると、年頃の女子にしてはゴツイ手が、ひらひらと踊っていた。
私の隣のシートには、お肉屋の包み紙のようなものが山と積まれている。私はその内の一つを掴むと団扇のように大きな掌に乗せた。
「はいジュン」
「サンキュー」
私から包み紙にくるまった結界石を渡された掌の主……相馬ジュンは、撒き餌の作業に戻った。
先ほどチカゲちゃんから立案された作戦。餌となる結界石を学校中にバラ撒き、それで山鰐をおびき寄せて倒すという作戦。それを開始して、早一時間半が過ぎようとしていた。
なお、最初にジュンから「何か作戦名決めね?」という提案があったことを付言しておく。もちろん速攻で却下したが。
チカゲちゃんが運転するワンボックスカー。その後部座席の窓から、私とジュンの二人で、結界石を撒いていたのだが、開始してしばらく経ってから、ジュンが急に「クルマの屋根の上から撒いてみたい!」と言い出したのだ。
私とチカゲちゃんは、この無頼漢の言うことに唖然としたものだが「誰か一人、高いとこで見張ってた方がサメ公を見つけやすくね?」
という提案に、それもそうかもしれないと納得してしまったのだった。
「それにアタシ一回やってみたかったんだよねー、クルマの屋根の上に乗るって。何か映画みたいでカッコいいじゃん?」
何か、そっちの理由の方が本命のような気がしてならないのは気のせいだろうか……。
そんなこんなで、チカゲちゃんが運転。私がクルマの中から餌撒き、ジュンが屋根の上で餌撒き兼見張りという、一風変わったフォーメーションになったのだった。
「ジュンさん、何か変わったものは見えますか?」
チカゲちゃんが、運転席から顔半分を出して訊いた。
「あーダメだ。それらしいモノは何も見えねぇよ。人っ子一人いやがらねぇ」
一昨日の山鰐襲撃事件を受けて、校内は急遽、立ち入り禁止になったのだった。部活も禁止、先生も誰もいない。ただ、宮本先輩から山鰐退治を命じられた私たち三人だけが校内にいるのだった。
「しっかし、この時間帯に学校に誰もいないなんて、変な気分だな。いや、変って言うよりも不気味だな」
ジュンのその意見には賛成だった。現在、午前十時二十一分。平日なら授業が行われているど真ん中の時間だ。土日祝日でも練習にいそしむ運動系クラブの生徒たちで、わき返っているはずだ。それが今は、動くものは影ひとつ見あたらない状況だ。
周りをぐるりと見渡す。
周囲には、先日の山鰐騒動で壊されてしまった模擬店が、廃墟のように打ち捨てられていた。
文化祭までもう日がない。例え私たちが山鰐を打ち倒したとしても、模擬店を直す時間は十分にとれるだろうか。
私はグラウンドに言葉無くたたずむ模擬店群を目に、そんな事を思った。
おそらく、というかやはりというか、山鰐からのアプローチは、今のところない。しかし、実際の釣りがそうであるように、これは忍耐力のいる作業なのだ。
宮本会長に切られた期限は、今日の夜まで。それまでに私たちは山鰐を倒すことができるのだろうか。
「しっかしよー。餌を撒き始めて、もうそろそろ二時間経つぜ。いい加減食いついてきてもいい頃合いなんじゃねーの?」
屋根の上でジュンが退屈そうに言った。
「さっき言ったように、これは非常に根気のいる作戦です。山鰐は非常に警戒心が強いです。すぐに釣れるようでは苦労しません」
「ちぇー」
「チカゲちゃん、山鰐は今いったいどこにいるのかしら? その妖気とやらは感じない?」
私はチカゲちゃんに訊く。
「昨日の夜、私たちを襲ってから、行方が分からないんです。少なくと旧校舎からはもうすでに移動したと見られます」
「移動?」
「多分、旧校舎はもう危ないと思ったのかもしれませんね」
「そうだとしたら、けっこう危機管理能力の高いヤツね」
「なぁに、昨日の夜のうちに、学校全体を結界で封じた時点で、山鰐にとってはかなりの痛手になったはずです。もうヤツはこの学校からでることはかないませんから。あとはじっくりと山鰐を封印するだけです」
チカゲちゃんは力強く言う。まぁ実際問題、文化祭の開会式までに山鰐騒動を片づけても、模擬店なんかを直す時間を取らなければならないので、それほど時間に余裕があるわけではないのだけれど。
……わぁっ!
「安心しろってナナミン」
窓の外に逆さまになったジュンの顔があった。びっくりしたー。
「この空飛ぶサメ騒動が片づいたらさ、アタシらが全力で間に合うようにしてやるからよ」
え……。
「心配してんだろ? サメをなんとかしても、これだけ学校がメチャクチャになっちまったから、文化祭に間に合うかどうか」
バレてた。
「ま、心配すんなよ。その辺はさ、アタシら一般の生徒が何とかしてやるよ。なんだったら学校に泊まってでもやりゃいいんだし、二日や三日くらい徹夜してもいいじゃん」
「ジュン……」
無法者の意外な言葉に、私はつい胸が熱くなる思いだった。この娘がつい数日前、人間対ドーベルマン一本勝負なんていうふざけた企画を出してきたとは思えない。
「私もできるだけ協力しますから」
運転席からチカゲちゃんが言う。
「もちろん、この山鰐退治を急ぐのもそうですが、全部終わったら、私も修理を手伝いますから」
「チカゲちゃん……」
「そもそも、今回の山鰐騒動でここまで後手を踏んでしまったのも、私の責任という一面もあるのですから、それくらいのアフターサービスは当然です」
チカゲちゃんはこの学校の生徒ではない。だから、もちろん文化祭の設備の修理なんて手伝う義理なんてない。にも関わらず、チカゲちゃんは私たちを手伝ってくれると言っているのだ。
「成りゆきとはいえ、ここまで手伝ったんです。最後までおつきあいしますよ。それに……」
チカゲちゃんは少しうつむいた。
「文化祭っていうものがどういうものか、体験してみたいですからね」
チカゲちゃんは努めて明るく言った。彼女の言をまともに受け止めるならば、どうやらチカゲちゃんは普通の学生生活を送ってこなかったようだ。おそらくではあるが、退魔師との修行を優先させたのであろう。
「おっしゃ、分かったぜ」
逆さまになりながら、ジュンがパチンと指を鳴らした。器用なことをする娘だ。
「全部終わったら、三人で文化祭を模擬店巡りしよーぜ。うちのクラス、フランクフルト屋やるんだよ。アタシの権限でタダにしてやるからよ、食べに来な」
ジュンにしては優しい言葉を投げかける。しかし、勝手にそんなことを約束してもいいのだろうかと思う。
「アタシの子分でカケルっていうのがいるんだよ。そいつのオゴリってことにしとくから金のこたぁ心配しなくていいよ」
おいこら。
「ふふふ……。じゃあお言葉に甘えさせてもらいます。文化祭当日はよろしくお願いしますね」
チカゲちゃんは柔らかく笑った。その笑顔に私も思わず顔がほころんでしまう。
「ふふふ……」
「ははは……」
三人が同時に笑い出しそうになったそのときだった。
まるで地震が起きたかのような衝撃が、ワンボックスカーを襲ったのだった。