9月7日(金)⑩ 秘密兵器
「チカゲちゃん? 無事だったの?」
私は端末に向かって叫んだが、スピーカーからは相変わらず『ナナミさん、聞こえたら応答してください!』という声しか聞こえない。どうやらこちら側からなんらかの操作をしなければ、私の声は向こうには届かないらしい。
端末を矯めつ眇めつ見るが、どうやったら返事ができるのかが分からない。地上では相変わらず山鰐が暴れている。私が今いる場所もいつ崩れるか分からない。
焦りから額に汗が滲む。あぁ、一体どうやったらいいのかしら。そうこうしている内に、端末の右側面に《応答》と書かれたボタンを見つけた。試しにそのボタンを押しながら、スピーカーに向かってがなる。
「チカゲちゃん! 私よ! 聞こえる!?」
反応が無い。
もう一度、端末に向かって叫ぶ。それでもマイクからは何の声も聞こえてはこなかった。やはりこの方法では無かったのか……。
そう思ったときだった。
『ナナミさん? ナナミさんですか!?』
ビープ音に混じりながらチカゲちゃんの声が返ってきた。明らかにこちらの声に反応したものだった。
「そうよ! 私よ! チカゲちゃん、無事だったの?」
『こっちは何とか大丈夫です。ジュンさんも無事ですよ』
『ナナミン生きてっかー!?』
ジュンも!? それは良かった……。
言うが早いか、マイクから、何とも気の抜けそうな声が聞こえた。
「一応無事といえば無事よ。でも、それももはや風前の灯火といっていい状況なんだけどね……」
私はため息混じりに答えた。
『ナナミさん、諦めないでください。まだ逆転の目は無くなってはいません』
どういうこと?
『そこに私のリュックはありますか?』
私は自分の横に置かれた黄色のリュックを見た。
「えぇあるわよ、でも言っちゃ悪いけど、使えそうなものは見つからなかったわ。もう一つ謝らせてもらうけど、ごめんなさい、勝手に中身を見ちゃったの」
『そんなの気にしないでください。見られても困るようなものは入れてなかったですし。それに、開けて端末を見つけたからこそ、こうやって連絡できたわけですから』
チカゲちゃんの言葉が心にしみる。
「ありがとうチカゲちゃん。ところで、今言った逆転の目が消えてないっていうのはどういうこと?」
『私のリュックの中に紫色の巾着はありますか?』
その言葉を聞いて、私は傍らに置いてあったリュックの中身を探す。すると……。
確かにあった。チカゲちゃんの言うとおり、リュックの底のそのまた底に、それはあった。
紫の布で作られた巾着袋だった。色がくすんでいる上に、所々糸が解れている。やけに年季を感じさせる品だった。
「あったわ!」
私は端末に向かって叫んだ。
『開けてください。中に紫色の結界石が入っているはずです』
巾着の口を開け、中身を確認する。確かに巾着と同じ色の固くてキラキラ光るものが入っていた。
今までの結界石は、文字通り結界を張ったり、妖怪の餌となったり様々な効用があった。この石は一体どういう効果があるのだろうか。私が袋の中に手を入れようとした瞬間――
『気をつけてください!』
端末から鋭い声が飛んできた。
『それは爆弾ですから。あまり乱暴に扱わないでください』
……。
はい? 今何て言ったの? 爆弾?
『ごめんなさい。爆弾と言うのは少し語弊があるかもしれませんが、しかし危険なものだという認識はしてください』
それからチカゲちゃんは悠然と話し始めた。
この紫色の結界石には、数多の退魔師たちの霊力が込められていること。これをうまく使えば、大抵の妖怪を一撃で倒すことができること。おそらくは山鰐もひとたまりもないであろうということ。そして、この結界石を使うには、ある『条件』があるということ。
「その条件って何かしら?」
「現実の爆弾にも当てはまることです。起爆装置です」
「起爆装置?」
「ナナミさん、リュックの脇に革製のホルダーがついていませんか?」
確認すると、確かに黒い立方体がくっついていた。開けて中身を確認する。真っ白な石だ。大きさは二センチくらい。黒い革製のホルダーに、雪のように真っ白な石がぎっしりと詰め込まれていた。これもおそらく、いや確実に結界石だろう。しかし、この白い石はどういった効力をもつのだろうか。
『それが起爆装置です』
端末からチカゲちゃんの押さえた声が聞こえた。
起爆装置? これが? どうやって爆発させるのかしら?
『さっきの紫の結界石に、白い結界石をぶつけるんです。そうするとお互いの霊力が反応しあい、中のエネルギーが一気に放出、爆発します』
なるほど、紫の結界石の霊力に、白の結界石の中の霊力が反応するわけね。さっき、チカゲちゃんは爆弾と起爆装置に例えたけれど、その話にも納得だわ。でもその話だと……。
「チカゲちゃん、その方法だと私も巻き込まれちゃわない?」
『……』
マイクの向こうからは、何も聞こえてこなかった。
私の懸念は当たったようだった。
確かにチカゲちゃんの提案は、この絶望的な状況をひっくり返す逆転ホームランになるかもしれない。しかし、それを実行するには、私が結果席の爆発に巻き込まれるかもしれないのだった。
確かに私は山鰐を何とか倒したいと思っている。でもそのために自分の命が危険に晒されるのはゴメンだ。いくら私といえども、そこまで自己犠牲精神を持っているわけではない。
『何とか、遠くから山鰐を攻撃する手段はありませんか……? そうすれば……』
チカゲちゃんの言いたいことは分かる。この場でなんとか山鰐に結界石(紫)を食わせる。結界石(紫)はかなりの大きさだ、すぐに飲み込むのは不可能だろう。おそらくは、しばらく山鰐は結界石(紫)をくわえたままになるはずだ。その大きな口から見えている結界石(紫)になんとか結界石(白)を当てれば……。
『やはり、そんなこと無理ですよね……。スナイパーでもないんですから』
マイクからは、そんな諦めに似た声が漏れてきた。
いや、そんなことはない。
私にはこの作戦を成功させる秘策があるのだ。
「大丈夫よチカゲちゃん。私に任せておいて」
私は背中の弓の鳥打を握りながら呟いた。