ボールはクロスバーに当たっていたか
一、
日下部涼太<くさかべ・りょうた>はクラブハウスを出て、空を見上げる。はるか頭上、視界の彼方は灰色の雲によって覆い尽くされていた。
まるで涼太の今の心境を、そのまま写しこんだような空模様だった。
随分と肌寒い。最近、急に冷え込んできたような気がする。涼太も三日前から、練習中はジャージを着るようになった。
グラウンドへと続くアスファルトの道路。歩くたびにスパイクのポイントが、路面にぶつかってガチャッ、ガチャッと鳴る。
プーマのボールを指先で回す。まるで胸のもやもやを払うかの様に。
今日の昼休み、マネージャーの直子とした会話を思い出す。
『涼太、慎吾君のことやねんけど』
『あん? 慎吾がどないしたんや』
『実はな、昨日の夜、詩織ちゃんからLINE来てんけど』
『詩織から? おう、それで?』
『実はな、涼太……』
何気ない返しに、直子は躊躇いがちに口を開く。
『慎吾君な――やって』
涼太は暫く絶句した後、
『…………お前、それマジで言うとんのか?』
こう返すのが精一杯だった。
涼太は肩を落としながら、グラウンドへの道を歩く。視界に入るのは灰色のアスファルトと、その上を歩く自分の爪先だけ。サッカーを始めたばかりの頃、少年団のコーチがいつも言っていたセリフを思い出す。
『試合中、辛くなったら顔を上げろ』
しかし、今の涼太に顔を上げようなどという考えは微塵も起きなかった。
練習開始まで、あと二十分くらい。すでにグラウンドには五人ばかりの部員が出てきていた。アップがてらだろう、ボール回しゲームをしている。
しかし、それに混ざろうなどという気にはとてもなれなかった。
涼太がグラウンドに入ろうとして――ふと足を止めた。
脇のベンチに誰かが腰掛けている。
背中をこちらに向けているので顔は見えない。どうやらスパイクの紐を直しているようだ。
しかし涼太はそれが誰だか瞬時に分かった。
ちょっとクセのある髪。紺色のアディダスのジャージと、アシックスのハーフパンツ。高校に入ってから約一年半、どれだけ目にしてきただろうか。
涼太は少し悪戯心を起こす。唇の端が少しだけ持ち上がる。
対象に気付かれないようにゆっくりと近づく。スパイクが砂利を踏んでザスッと音を立てる。大丈夫、聞かれていない。
なるべく音をたてないように、抜き足差し足で近づいてゆく。
射程距離に入ると、ボールを胸元に構えて――
勢いよく放る。
ポコッ。
小気味よい音を立てて、ボールは見事にターゲットの後頭部に当たった。
『痛っ、誰やねん!』
『痛っ、やて。寒ッ』
『なんや、涼太かい』
『なんやってなんやねん。もっとおもろいリアクションせえや』
『なんでお前にそんなことせなアカンねん。そんなんやしお前はまだ童貞なんじゃ』
涼太はそんなやり取りを期待した。この一年半の間、何度も何度も繰り返してきたやり取り。
しかし、
「っつぅー」
頭をさすりながら、そいつは振り向く。まるで熊のように緩慢なスピードで。
「なんや、誰やと思たら涼太かい」
暗い眼で涼太を見る。そんな目をしたそいつを見るのは初めてだった。
なんらかのリアクションを期待していた涼太の笑いは、それで引っ込んだ。
「あんまガキみたいなことすなや」
別に声を荒げる風でもなく、ボールを涼太に向けて放る。
ボールをキャッチした涼太は声をかける。
「おい、慎吾」
「なんや」
明らかに機嫌の悪そうなそいつの声に、涼太は二の句が継げない。
「いや、なんでもないわ……」
慎吾こと、仲村信吾<なかむら・しんご>はぶすっとした表情のまま、立ち上がり今度は軽くストレッチを始める。
『おい、一緒にストレッチやろうや』
昨日までだったら、気軽にこんな事を言えたはずだった。しかし、今はそれができない。
涼太と慎吾との距離、約三メートル。これが今の涼太にはとてつもなく遠い距離に感じられた。
不意に、涼太の足元にボールが転がってきた。
「あっ涼太さん、ごめーん」
どうやら、向こうでボール回しをしているボールが転がって来たらしい。
「ほれ」
涼太はそれを蹴り返してやる。
「涼太さん、ありがとー!」
後輩のお礼の声に、軽く手を上げて応ずる。
ボールを受け取った後輩は、賑やかな輪に戻っていく。
「お前なーちゃんと蹴れやー」
「うるせー」
そんな軽口をたたき合う後輩たちを見て、涼太は少し羨ましくなった。
涼太は慎吾に声をかける。
「慎吾」
「なんや」
「ちょっと向こうまでランニングしようや」
言うが早いか、涼太は先にジョグを開始していた。
慎吾の返事は聞こえてこない。
ついてきていない?
一瞬不安になった涼太だが、すぐに後ろからザッザッという足音が聞こえてきた。
しばらくしてから、涼太の右隣、少し離れた位置に、慎吾が並んだ。相変わらずどこか暗い雰囲気を漂わせている。
涼太は探りを入れてみることにした。
「ほれ」
涼太は脇に抱えたボールを慎吾にパスする。
慎吾はそれを右足インサイドでトラップ、コントロールするとすぐさま涼太にパスする。
緩やかなボールは涼太の左足に綺麗に収まった。
パス交換を三度ほど繰り返したあと、涼太が口を開く。
「おい慎吾」
「なんや」
「あれ見てる? 『掟上今日子の備忘録』」
「見てるぞ。だって俺ガッキーめっちゃ好きやもん」
慎吾の表情に、少しだけ陽がさした。
「お前趣味悪いわ」
涼太も軽口で返す。
「アホ、お前見てへんから分からんねん。見てみろってヤバイくらい可愛いし」
「いや、ありえん。ほんまありえへんわ」
「お前の方がありえへんわ。明後日放送するし見てみろって。お前ビックリすんぞ」
涼太がパスしたボールを、慎吾は爪先で軽く浮かせる。それを右の太ももでトラップ、右インサイドキックで涼太に返す。
返ってきたボールを涼太は胸でトラップ。右の腿でコントロールして右足アウトサイドで慎吾にパス。
悪態をつきながらも、慎吾の口角が僅かに上がっていた。それは先程までの重い表情から考えてみると、小さいながらも進歩だといえた。
ここで涼太は話題を変える。今度は少し突っ込んだ質問。
「お前、詩織とはどないなったん?」
「どないもこないも、まだ続いとるよ」
詩織とは慎吾の彼女である。フルネームは立花詩織、ストレートの髪の似合う、大人し目の女子である。この学校の中では可愛い部類に入るのではないかと涼太も思う。
「お前と詩織、付き合ってどれくらい?」
「どれくらいやったかな……八月の終わりくらいから付き合い始めたし、もう三か月くらいやな……って何、人のオンナのこと呼び捨てにしとんねん」
少し高めのボール。しかし慎吾は難なく頭でトラップ。左の腿に当てて右インステップで涼太にリターン。
涼太はボールが地面に着く寸前に右足の甲にボールを当てる。僅かに浮き上がったボールを爪先で蹴り上げる。それを左のインサイドキックで慎吾に返す。
涼太は少し高めに蹴った。
中空で大きく弧を描くボール。
今度は核心をついた質問。
涼太はそこで躊躇いながら口を開く。
「お前……サッカー部辞めるってホンマか?」
何でもないボールの筈だった。慎吾としては腿でトラップするつもりだったのだろう。しかし、落ちてきたボールは慎吾の右腿に当たったものの、明後日の方に転がって行った。
普段の慎吾には考えられないイージーミスだ。
二人の向こうで転々とするボールに目をくれず、慎吾は口を開いた。
「そうや、もう辞めよう思とるんや」
「……」
「お前、それ誰から聞いてん?」
慎吾からの問いかけに、涼太はゆっくりと口を開く。
「直子からや、アイツ詩織と仲ええやろ? LINEで詩織から相談されたんやって」
「ちっ、詩織のヤツ何しとんねん……」
「それにな、直子もお前のカバンに退部届が入ってるん見たって言うとったぞ」
「なんやそら」
呆れたような顔をしながらも、その表情はどこか落ち着いたものだった。詩織伝いに、直子の口から涼太に知れ渡るのも時間の問題であることを、慎吾自身、自覚していたのであろう。
「あんま詩織攻めたらアカンぞ。あの娘はあの娘なりにお前の事、心配しとんねん」
「そんなん分かっとるわ」
慎吾は大きくため息をついた。
二人の間に流れる沈黙。
そして涼太は訊く。
「何で辞めんねん?」
「……」
慎吾は答えない。
ただし、慎吾が辞める理由について、一つ検討がついていた。
涼太は決心して、それを切り出す。
「スギにレギュラーとられたからか?」
慎吾の顔が僅かにこわばった。どうやら当たりだったようだ。
慎吾が中盤左サイドのレギュラーになったのは、一年の秋。比較的早い時期だった。というよりも、涼太の学年で一番最初にレギュラーの座を射止めたのが慎吾だった。ちなみに涼太はフォワードのレギュラーだが、彼がレギュラーに定着したのが今年の夏からだった。
一年の秋から約一年間、慎吾は西条高校サッカー部・不動の中盤左サイドのレギュラーを務めてきた。
しかし、最近になって一学年下のスギこと杉山卓也が急成長。練習試合でも結果を出すと、瞬く間に慎吾から中盤左のレギュラーの座を奪い取ってしまったのだ。
夏のインターハイ予選が終わったぐらいから予兆はあった。練習試合でも、慎吾が途中交代させられる頻度が増えていた。代わって出るのは決まってスギだった。
スギの出場時間は段々増えていった。
おそらく慎吾も嫌な予感はしていたであろう。
そして、その予感は当たった。
冬の選手権予選。全試合でスギが先発したのだ。レギュラーが慎吾からスギに入れ替わったという明確な表示だ。
そのことで慎吾の心の何かが折れてしまったのだろうか。
涼太はしばらく思案した後、口を開く。
「慎吾、安心せい」
「何がや」
「お前、もうすぐレギュラーに復帰すんぞ」
「何でお前にそんな事分かんねん。監督に聞いたんか」
「そんな事、いちいち人に聞かんでも分かる」
「……」
「何でか言うたらな、スギがレギュラーになったことで失点が増えたからや」
涼太が今言ったことは、事実である。
スギが試合に出るようになってから、西条高校の得点数は増えた。しかし失点数も劇的に増えた。
それはスギと慎吾のプレースタイルの違いにある。
同じ中盤左サイドの選手といっても、二人のプレースタイルは正反対だ。
スギは典型的なドリブラーだ。
とにかくボールを持ちたがる。そしてボールを持ったらとにかくドリブルで相手を抜きにかかる。そしてボールを取られる。カウンターを浴びる。
これが西条高校の最近の失点パターンだ。
事実、スギが試合に出ているとき、左サイドからのカウンターで点を取られるというパターンが増えた。
これに対して、慎吾のプレースタイルはまるで正反対だ。
スギのような派手なドリブル突破はない(というよりできないのだが)。
しかし、来たパスは確実につなぐ。サイドバックが上がってできたスペースを、誰よりも早く埋める。ルーズボールには早く寄る、そして危険なボールは取りあえず大きくクリア。
すなわち、堅実が慎吾のプレースタイルだった。
しかし、そんな高校生にしては妙に聡いプレーが、監督には不満に思ったのかもしれない。若者らしくない。高校生らしくない。そんな、馬鹿馬鹿しい理由で。
だが、いくら指導者が不満に思っても、涼太は慎吾のクレバーなプレースタイルを大きく評価していた。
「しっかし、スギのディフェンスはホンマに軽い。ポンポン抜かれよる。人やなくてボールを見ろ言うてんのに直りよらへん」
涼太はボヤくように言う。
「ホンマ手厳しい意見やな」
「事実なんやししゃあない。この前の試合かて、キーパーが原やなかったら負けとったで」
「ああ。原が大当たりした試合な」
原とは西条高校サッカー部の守護神・原健次郎の事である。身長百八十七センチの長身。並はずれて長い手足。それでいて百メートル五秒台の俊足。高校入学時、体力測定があった。その結果を知った各運動系クラブの部長たちが、こぞって勧誘に来たというのは有名な話だ。
涼太は頷きながら言う。
「この前の試合で分かったわ。原は人間ちゃうわ」
「ああ、あいつはゴリラや」
涼太は、原の人間離れしたプレーを思い出しながら言う。
「特に後半三十分やな」
「ああ、相手のループシュートを防いだヤツな。体勢は完全に逆つかれとったのにゴールの右端から左端まで一瞬で跳びよったしな。ああいうの昔なんかのテレビで見たぞ。確か動物番組やったかな。木から木へと飛び移るチンパンジー思い出したわ」
「慎吾、お前ひどいヤツやな」
あんまりな言いぐさに涼太は言う。
「お前かて大概やんけ」
そこまで言い合ってから、二人はプッと吹き出した。それからゲラゲラと笑う。
やはり、慎吾とはこんな風に馬鹿みたいに笑い合っているのがいい、と涼太は思った。
グラウンドには、部員たちが続々と集まりつつあった。その中にはさっき話題に上ったスギと原もいる。
スギは向こうでボール回しに加わっている。原は他のキーパー陣とストレッチをしている。
「別に辞めんでいいんちゃう?」
「あん?」
「ここまでサッカー続けたんやし」
「もうええねん」
「もうええって?」
「いや、俺らもうすぐ三年やん?」
「そうやな」
「そしたらな受験の事も考えなアカンやん? ここだけの話、俺国公立狙っとんねん。担任にも今から勉強に集中したら十分間に合う言われとるしな」
「そうなんや」
そういえば、慎吾って結構アタマ良かったよな。涼太はそんな事を思い出した。
涼太は悩む。
両手を組む。頭を掻く。落ち着きなく爪先で地面を叩く。
涼太が頭の中のCPUをフル回転させてから十秒ほど経過。
何も名案が出てこず、涼太自身もあきらめかけたその時、西条高校フォワードの頭の上でLEDライトがピカリと光った。
「おっしゃこうしよ」
「こうしよって何が?」
「あれ見てみい」
涼太が指さした方に、慎吾も視線を向ける。
点取り屋が示すのは、サッカーというスポーツではおなじみのものだ。白枠で囲まれた、長方形の物体。
「あのゴールがどないしてん」
「俺がここから」
そう言って涼太が地面にボールを置く。
今、涼太と慎吾がいるのはペナルティエリアの丁度外側。右斜め四十五度の位置だった。
「ボール蹴って、見事クロスバーに当たったらお前は辞めへん。外れたらお前の好きにせえや。文句なしの一発勝負。これでどうや?」
クロスバーとは、ゴール上部の、地面と水平になっている部分の事をいう。
「そんなんお前の方が有利やんけ」
その通りだ。実際、涼太はクロスバー当てを結構得意としている。中学の頃は練習終了後、暗くなるまで残って練習していた。いつだったか、帰るのが遅くなりすぎて、顧問から怒られたくらいだ。
その練習のせいもあって、現在は成功率は六割から七割といったところだ。これでは慎吾の方が不利と言える。
しかし、点取り屋はそんな同僚の不満もお見通しといった感じだ。
「安心せい慎吾」
「ん?」
「俺は左足で蹴ったるわ」
涼太は右利きだ。通常、逆足でのキックは、利き足でのそれと比べると大きく精度が落ちる。涼太は左足でも右足と同じ様に蹴れるように練習を重ねてきた。しかしながら、それでも左足の精度は右足に比べると、若干落ちると言わざるをえない。
正直、左でのクロスバー当ての成功率は半々と言ったところだ。
もちろん慎吾はそんな涼太の特性を知りつくしている。しばらく腕組みして考える素振りを見せた。
十秒ほどしてから口を開く。
「ええで」
慎吾は大きく頷いた。
「決まりやな」
涼太は改めてボールをセットし直す。そしてボールの斜め後ろに立つ。
ゴール前右斜め四十五度。風は無い。遊び球無しの一発勝負。
この一蹴りに慎吾が部を辞めるかどうかが懸っている。
大丈夫だ。俺はやれる。
涼太は自分に言い聞かせる。
そら、力を抜いて、いつも通りに蹴れば大丈夫。
成功率五割ということは、成功も失敗も同じ確率という事だ。
目の前の丸い物体に視線の全てを集中する。
イメージだ。ボールがバーに当たるイメージ。
左足インサイドで軽く掬い上げる感じで。
思考が真っさらになったのを確認し、涼太は助走に入る。
ボールまで三歩。
ボールの真横から少しずらして踏み込む。そう、小学校から何万回も繰り返してきた動き。
振りかぶって、動かすのは膝から下だけ。
ボールの中心に左足の面を軽く当てる。
確かな感触。パーフェクト。
地面から離れたボールは、放物線を描きながら中空を舞う。
綺麗な縦回転をしながらボールは飛ぶ。
クロスバーまであと二メートル、一メートル……。
ボールが地面を離れてから二秒足らず、涼太は永遠ともいえる時間を体感した。
当たるか? 外れるか?
涼太が腰だめにガッツポーズした、その瞬間。
涼太の視界の端から、黒い大きな影が飛び出してきた。
まるでテナガザルのような細長いシルエット。
それは涼太の蹴ったボールに飛びつき、掻っ攫っていった。
そいつは先程までは、確かストレッチをしていたはずだ。十分体がほぐれてきたのだろう、ランニングに移って来ていたのだ。
まるでお手本のようなセービング。これが試合中ならば、ベンチからの拍手喝采を浴びていることだろう。
「はっはっはー。角度がまだ甘いぞ涼太!」
トムソンガゼルを襲うチーターのような動きを見せたその男は、満面のドヤ顔を見せた。
そんな彼に、涼太は大股でズカズカと近づいて行く。そして、顔を真っ赤にして抗議する。
「おい! 原! 何しとんねん! このボケ!」
そのあまりの剣幕のせいだろう、鉄壁のキーパーは思わず後ずさった。
「なんやねん涼太。何マジ切れしとんねん」
たった今、見事なセーブを見せた守護神は、ストライカーの怒りが理解できないようである。
その横で、慎吾がお腹を抱えて笑い転げている。
そんな慎吾とは対照的に、チーム一の点取り屋は顔を真っ赤にして、今にも掴みかからんばかりの勢いだ。
困惑顔の原は、慎吾に助けを求める。
「おい、慎吾。これどういうことやねん。説明せーや」
「いや、ええねん。お前はええ仕事したんや。ナイスキーパーやったで」
慎吾は原の肩をポンポンと叩く。まるで何かを労うかのように。
「お……おう」
まるでハトが豆鉄砲を食らったかのような、いやチンパンジーがバナナの皮で滑ったかのような表情を浮かべる原。
その横で、うんうんと満足げな表情を浮かべる慎吾。
しかし、当の涼太は当然納得がいかない。
「おい慎吾! 今のは無効や、ノーカンや!」
懸命に抗議する涼太だが、慎吾は訊く耳を持たないようだ。
「残念やったな涼太。お前、自分でゆうたやんけ『文句なしの一発勝負』て。自分で言ったこと反故にするんかい」
「こんなんイレギュラーやんけ! ホンマいらんことしくさりやがって、このボケ」
と、横の長身キーパーを睨む。
「な……何かすまん事をしてもうた雰囲気やな……」
素直に頭を垂れる原。
涼太はいきり立って言う。
「よーし、そやったら練習終わった後にもう一回や」
「今ゆうたやんけ。一発勝負やって。分からんやっちゃの」
「せやかて……」
その時、グラウンドにホイッスルの音が聞こえた。集合の合図だ。
見ると、ベンチの所に監督が来ている。
「ほれ、練習始まるぞ」
慎吾が走り出す。
「はよ行かな」
原もそれに続く。
「おい! 慎吾! 待てや!」
仕方なしに涼太も駆け出す。
総勢二十五名、西条高校サッカー部の面々が集まってゆく。
灰色の曇り空のもと、今日も練習が始まる。
ボールはクロスバーに当たっていたか。それは誰も知らない。