女の子が告白する話
木を隠すなら森の中、という格言がある。この言葉の意味するところが、もし何かを隠すときには、似たようなものの中に隠せというのならば、「女子高生を隠すときは、朝のホームルーム前の教室に隠せ」と言うことになるだろうか。
一、
ホームルーム十分前の教室は、喧噪の最中にあった。
「ここが岸田くんの席?」
私の相棒、野川真理子は緊張の面もちで訊いてきた。
「そうだよ。真理子の王子様の岸田くんは毎日この席に座って勉学に励んでるんだよ」
「もうっ! 加代ちゃん、そういうこと言わないの!」
こんなやりとりも、周りが騒がしいせいで、特に誰かに聞かれているということはないだろう。事実、私と真理子に怪しむような視線を送ってくるような人はいない。みんな昨日のドラマの話や、お気に入りの動画やスマホゲームの話に夢中だ。
「真理子、もう決心ついた?」
「うーん、もうちょっと待って」
「もう八時二十分だよ。もう少ししたら、先生来ちゃうよ。それに真理子が教室に戻る時間も考えなくちゃならないし」
そうなのだ、こんな風に一組の教室で普通にしゃべっているけれど、私、十和田加代と野川真理子の教室はまるっきり別々なのだ。私の所属しているクラスはこの一年一組。それで真理子のクラスは、同じ階の四組だ。同じ校舎、同じフロアといっても、まるっきり反対側にある。ここ一組の教室から四組の教室まで移動しようとすると一、二分はかかってしまうだろう。予鈴が鳴ってから移動したのでは、先生が教室に入っていくるまでには間に合わないかもしれない。
だからそれまでには終わらせなければならない。私と真理子の計画は――。
二、
「加代ちゃんのクラスの岸田くんって、カッコ良いと思う」
私が親友の野川真理子からこんなことを言われたのは、つい二週間前のことだった。
より詳しくいえば、私の家に真理子が遊びに来たときに、話の流れからそんなことを告げられたのだった。
きっかけは些細なことだった。
「真理子、知ってる? うちのクラスの○○くんと二組の△△さんが付き合ってるらしいよ。しかも△△さんの方からコクったんだって」
「えぇ!? △△さんってすごく大人しそうな娘じゃない!? 意外ー」
「人は見た目によらないってね。あんな大人しそうな顔してて、中身は結構肉食系だったんじゃない?」
そんな話から始まって、話題は恋バナ中心に移り変わっていった。そのときだった。
「……加代ちゃんのクラスに岸田くんっているよね?」
「岸田ぁ? 確かそんなヤツがいるわね」
真理子のそのセリフに私は岸田光一のことを思い浮かべた。
岸田光一。サッカー部所属。生まれたての猫みたいなくりくりした目が特徴。髪型は短髪。同じクラスで同じくサッカー部の原くんと仲が良い。いつも原くんと大きな声でサッカーの話をしてる。性格は子供っぽい、と思う。
「私、前からずっと岸田くんのこと良いなって思ってたの」
真理子のそのセリフに、私は思わず口の中のオレンジジュースを吹き出しそうになった。そして真理子の次の言葉に、今度こそ本当にオレンジジュースを吹き出してしまった。
「私、今度岸田くんに告白しようと思うの」
しかし、真理子みたいな大人しい娘がああいうちょっとヤンチャなタイプが良いって言い出すのはちょっと意外だった。
しかし、言われてみれば岸田くんはイケメンってほどではないけれど、そんなに悪くない顔をしていると思う。同じ十六歳にしてはちょっと子供っぽい顔つきをしているけれど。
「ところでさ、真理子。あんたどうやって岸田に告白するつもりでいるの?」
「うーん。ここはオーソドックスに手紙渡して呼び出して、ストレートに『好きです』って言おうと思ってるけど?」
真理子って意外と漢前な性格してるよね……。
真理子と私は高校に入ってからの付き合いだから、まだ一年とちょっとくらいしか経っていない。
一年の時に同じクラスになって、選択授業で席が近くになって一言、二言話すようになり、お互い好きなマンガやゲームが似てて、それから仲良くなった。
ちなみに二年に進級して、私と真理子は別々のクラスになった。私が一組で、真理子が四組だ。
一つ言っておくと、真理子は決して派手な感じの女の子じゃあない。黒髪のショートボブと幼い顔立ち(よく小学生に間違われるそうだ)。それに加えて細身の体。
その外見から、前述したような漢前な性質は見て取れない。
いや、普段の真理子は見かけ通りの大人しい感じの良い娘なんだよ? しかし、ふとしたきっかけでスイッチが入っちゃうと、自分でも見境が無くなってしまうというか、一直線に走りきってしまうというか……。
時と場合によって、非常に向こう見ずになってしまうのよね。
まぁそれが真理子の良いところでもあるのだけれど。
というわけで、真理子は私のクラスの岸田くんに告白することにしたのでした。
告白方法は至って王道。手紙で呼び出して、素直に『好きです。付き合ってください』って言うらしい。
そのため、日曜日の昨日、一日かけてラブレターをしたためてきたのだそうだ。で、真理子が一日心を込めて書いてきたラブレターは……現在、真理子が大事そうに抱えている。
お気に入りの文房具屋で買ってきたレターセット。ピンクの便せんを綺麗に折り畳んで、それを白い封筒に入れる。最後はハートマークのシールで封をする。
別に呼び出すだけなんだから、そこまで気合いを入れなくてもいいのではないかと思うのだけれど……。以前にそうアドバイスをしたら、「加代ちゃんは分かってない! 『神は細部に宿る』って言葉を知らないの? こういうことは、一個でも気を抜いちゃ駄目なんだよ!」と怒られてしまった。
そういうものなのだろうか。それでも普通の男子に告白するのなら、そこまで気合い入れるのも分からないではないのだけれど、岸田くんだからなぁ……。だって岸田くんって何も考えてなさそうだから、そんなありがたみも分からないだろうな……。
兎にも角にも、月曜日の今日、真理子は想い人の岸田くんにラブレターを渡すために、朝早く、私のいる二年一組の教室に来ているのだった。
……当の岸田くんは不在だった。
サッカー部の朝練を終え、一度は教室にやってきた岸田くんだったが「あー腹減ったー」と大きな声で独り言をつぶやくと、教室を出て行った。おそらくは購買でパンとジュースでも買っているのではないだろうか。
岸田くんが教室を出て行った五分後、真理子がやってきて……そうして現在に至る。
「どうする真理子? 岸田くん、今いないよ?」
「別にいいよ」
真理子はこれも想定の範囲内、と言わんばかりの表情だ。おお、いつもの大人しい真理子じゃない。
ホームルームが始まるまであと十分。時間はあまりない。私と真理子は二人並んで岸田くんの机を見下ろしている。
机の上に無造作に置かれたスポーツバッグ。開いたままの口からは中の教科書やらお弁当箱やらキシリトールガムやらが見えている。別に男子のカバンの中くらい見ても何も思わないけれど、チャックくらいきちんと閉めていってほしいものだ。そしてイスの背もたれに、紺色のブレザーが乱雑にかけられている。
「真理子、早くして」
私は真理子に耳打ちしてから、周りを見渡す。
二年一組の教室は喧噪に包まれていた。生徒はみんな自分の話に夢中で、私と真理子のことなど、気にとめている様子はない。やるなら今だ。
もう一度、真理子を促そうとしたとき。
真理子は大きく深呼吸をした。明らかに緊張している。真理子でもこんなに気負いすることがあるんだ、と今更ながらに驚いた。
「えいっ」
それから思い切ったように手に握りしめたラブレターを――ブレザーの左ポケットに差し入れた。
それから真理子はライオンから逃げる小鹿のようにダッシュで教室から出ていった。私は虚を突かれた形になったので、一瞬戸惑ったが、すぐに真理子を追った。
真理子はすぐに見つかった。階段の踊り場で立ち尽くしていた。
「真理子」
声をかけたが、反応はない。どうしたのだろうか?
「加代ちゃん」
「何?」
「私やったよ。岸田くんに手紙渡したよ」
そこには目をキラキラと輝かせている真理子がいた。
「まだ手紙渡しただけじゃん。本番は放課後でしょ」
「うん……でも。あーそうだよね。スポーツで言ったらまだ一回戦突破くらいだものね。私、気合い入れないとだよね」
「真理子なら上手く行くよ。多分」
「う、うん。そうなったらいいよね」
「ほら、もうそろそろベルが鳴るよ。真理子も早く四組に戻りな」
「う、うん。じゃあね加代ちゃん」
真理子は目をぱちくりさせながら頷くと、自分の教室へ帰って行った。その後ろ姿を見送った後、私は一組の教室に入った。
自分の席に座ってから、ふぅとため息をつく。
真理子が彼氏持ちにねぇ……。考えてみれば不思議なものだ。私よりも先に、男子と関わるのに消極的そうな真理子に彼氏ができるかもしれないなんて。でも仕方ないと思う。別に私だって彼氏が欲しくない訳じゃない。トモミやユッコみたいに学校の帰りに一緒にアイス食べたり、カフェに寄ったり……。私だってそんなことをしてみたくない、といえば嘘になる。でもそういうことは好きな男子とするものよね。そして今現在、私に気になる男子はいない。
そのとき、真理子の想い人の岸田くんが教室に入ってきた。やっぱり購買に行っていたらしく、手に菓子パンとパックのジュースを抱えている。
イスに座って、ご機嫌そうに鼻歌を歌いながらパンにかじりつく。
私は岸田くんの席のブレザーに目をやる。あのポケットに真理子からの手紙が入っている。それに気づいたとき、岸田くんはどんな反応をするだろうか? 驚く? それとも喜ぶ?
それを考えると、ちょっと微笑ましいような、羨ましいような感じがする。
ちなみに私の席の右斜め前が岸田くんの席だ。
この童顔の男の子と真理子が付き合うことになるかもしれないと考えると、不思議な気がしてくる。
まぁ何はともあれ、お二人ともお幸せに。
そう想った瞬間だった。
一人の男子が入ってきた。岸田くんと同じサッカー部所属の原くんだった。
その原くんは入ってきたかと思いきや、
「おい岸田ぁ、お前、間違って俺のブレザー持ってったろ」
などど口走ったのだった。
その声を聞いた岸田くんは「あぁん。マジで?」と気だるそうに言いながらも、自分の制服のネームタグをまじまじと見た後、「あぁ、ホントだ。悪い」と言いながら『真理子の手紙が入った』ブレザーを原くんに渡したのだった。
その一連のやりとりを、私はまるで豆鉄砲を食らったハトのような顔で見ていたのだった。
え!? いや、ちょっと待ってよ。なんで真理子の手紙を他の人に渡すのよ。ってそんなの分かりきってんじゃん、あっちの手紙入りの方が他人のブレザーだからじゃん。
ってそうじゃない、真理子からの手紙を勝手に持って行かないでよ。
「あー岸田がパン喰ってるー」
と原くんが無邪気に聞く。
「いやー腹減っちまってなぁ。ついつい買っちまったよ」
「百円で一個俺に売ってくれよ」
などと言いながら、原くんはブレザーの腰ポケットに手を入れようとする。
あぁっ! そこには真理子の手紙が!
「駄目!」
私は机をバンと叩き、立ち上がる。
「駄目よ……そんなの……」
そうよ、もしそんなことしたら、真理子が岸田くんのことが好きだってことがクラス中にバレちゃうじゃん。もしそんなことになったらどうなる? 人の口に戸は立てられない。噂は一組だけじゃなく、二組、三組、そして真理子のいる四組まで一瞬で伝わるだろう。
もしそうなったら真理子はどうなる? この学校に行られなくなるのではないか!?
そうなったら私は……私は……。
と、そこまで考えたとき、私はクラス中の視線が自分に注がれていることに気づいた。みんな半口をあけて私を見ている。
「あ……そう駄目よ。原くん駄目よ食べ過ぎは。だって原くん最近太り気味だもの」
「えっそうか? これでも標準体重キープしてんだけどな」
「内蔵脂肪がついているのよ。だからパンみたいな炭水化物は食べない方がいいわよ」
そう言ってから私は自分の席に着いた。
「え。あ、ああ。そうするよ……」
原くんは首を傾げながらそう答えた。ふぅ、なんとか取り繕うことができたようね。
そこへタイミング良く、担任の岡部先生が入って来た。四十代なかば、バレー部顧問の男の先生だ。
「よーし、じゃあ朝のホームルーム始めるぞー。ん? なんだどうかしたのか?」
岡部先生は教室に漂っていた微妙な空気を察知したのか、のんびりした口調で訊いた。
しかし、すぐに「いえ、なんでもありません」と私が返したので、先生は「そうか」といって、狐につままれたような表情のまま教壇に上った。
三、
それはそうとして、なんとかして原くんから真理子の手紙を取り返さなければならない。タイムリミットは今日の放課後まで。いや、それだけじゃない。原くんがブレザーの腹ポケットから手紙を見つける前、という条件付きだ。いや、むしろ放課後になるより先に、原くんが手紙を見つけるのが先じゃあないのか? 今現在、原くんはブレザーを着て授業を受けている。こうしている最中に、彼が気まぐれを起こしてポケットをまさぐったら、手紙が白日の下に晒されてしまう。手紙は縦横長さ十センチほどの物だ。そんなにかさばるものではないが、かといって極端に小さなものでもない。そんなものをポケットに入れっぱなしにしていたら、いつか違和感に気づくだろう。今、こうして授業を受けている最中にも原くんが手紙に気づくかもしれないのだ。いや、むしろ気づかれていないという現在の状況がすでに奇跡に近いのだ。
そういった悶々とした心持ちのまま、私はこの日の授業をこなしていった。ちなみに原くんの席は私のすぐ隣だ。手を延ばせば手紙がそこにあるというのに、手が出せない。そういうモヤモヤとした心持ちのまま、午前中を過ごしたのだった。
「はあぁーー」
これからお昼。待ちに待った弁当の時間だというのに、私は私はこの世の終わりのようなため息をついた。端から見たら辛気くさいことこの上ないだろうが、私に言わせればため息のひとつくらいつきたくなるというものだ。だって親友の恋が成就するかどうかの瀬戸際にあるのだ。しかも、その成否は私にかかっている。気が重くならないはずがないというものだ。
リュックサックからお弁当箱を出しながらそんなことを考えていたら、後ろの席からつんつんと背中をつつかれた。
「ねぇ加代」
振り向いたら、白川亜矢が声をひそめて訊いてきた。
「あんた今日、どうしたの? 朝から様子が変よ」
亜矢は女子バスケ部所属。よく日焼けした肌と短く刈り込んだショートカットが特徴だ。結構な世話焼きで、クラスの世話女房的な存在だ。
その亜矢の後ろから、
「悩みが有るんだったら聞くよー?」
今度は長谷川奈津が声をかけてきた。
奈津は帰宅部。亜矢とは正反対に背は小さくて、性格はおっとりしている。亜矢とは真逆のキャラクターだが、この二人はなぜかウマが合うらしく、いつも二人で行動している。
……。そうか、この二人に協力してもらうのも有りだ。
私は世界最大のダイヤを盗み出す方法を思いついたルパンのような心境になった。
同じ女子の亜矢と奈津だったら、余計なことは言いふらさないはずだ。
どっちみち私一人ではもう手詰まりのところまで来ている。こうなったら外部の第三者に協力を仰ぐのが正しい手だろう。なお、肝心の原くんは私の苦悩など露知らずで、岸田くんとゲラゲラ笑いながら、お弁当をつついている。朝にパン一個食べたのに、もうお腹減ったのかしら。あーもう、今、原くんが食べている卵焼き、一つくらい分けてほしいものだわ。
もうこうなったら、他の人に協力を頼むしかない。そう決心した私は、亜矢と奈津の二人と共同戦線を張ることにした。
「いやぁ実はね……」
「ふーん。なるほどねぇ。野川さんのラブレターが間違って原くんのブレザーにねぇ」
亜矢は、その細い顎に手をやりながら、頷くように言った。
「そうなのよ。だからどうしたものかと思ってね」
「隙を見て、ポケットからスっちゃえばいいんじゃないの?」
おっとりとした顔で、けっこう危ういことを言い出すのは奈津だ。
「私もそれを考えたんだけれどね、隙がないのよ。だって原くん、朝からずっとブレザー着っぱなしなのよ。スろうと思っても授業中は当然無理、休み時間も岸田くんやら他の男子の所に行ってずっと喋ってるでしょ。話しかけて、隙を見て手紙を回収する、なんてのも考えたわよ。でも何の用もないのに話しかけるっていうのも不自然だと思って止めておいたの」
「うーん、難しいなぁ」
亜矢はよく日焼けした腕を組みながら、首を捻った。
やはり、一人より三人というのは安直な考えだったのだろうか? 第一、一人で無理でも三人なら……というのがそもそも軽率だったのかもしれない。
そう思ったときだった。
私たちの背後から、熊のうなり声のような野太い声が聞こえてきた。
「それは由々しき事態ね」
振り返ると、
「話は全て聞かせてもらったわ」
ヒガンテさんは、そのボタンが弾け飛びそうなくらい分厚い胸板の前で、これまた熊も一撃で殴り殺せそうなくらい太い腕を組みながら言った。
「ヒガンテさん、何か策でもあるの?」
亜矢がのんびりとした口調で訊いた。
「ええ、もちろんよ。私に任せておきなさい」
ヒガンテさんは、狼も一瞬で服従のポーズをとりそうな程の鋭い眼光で私を見ながら、その固く引き結ばれた口角の端をわずかに持ち上げた。
ヒガンテさんはレスリング部所属。
身長百九十センチ体重非公開(だって女の子だもの※本人談)。
縄文杉のような太い首に、鉄板でも入れているのかと思わんばかりの厚い胸板、そして丸太のような腕。
中学三年間で全国大会三連覇。先日行われたインターハイでも、一年生ながら優勝している。将来、オリンピックの金メダル候補として、日本レスリング界で最も将来を嘱望されている選手だ。高一の現在でも、大学や実業団のレスリング部がこぞって勧誘に来ているらしい。いや、それだけでなく、大学の柔道部、空手部、女子プロレス団体、ボクシングジム、あと何故か相撲部屋からも誘いが来ているという噂だ。そんなすごい人が一体どんな秘策を考えてくれたのだろうか?
「ヒガンテさん、どうやって原くんから手紙を取り戻すの?」
私は訊く。
「ふっ、それはいたって単純よ」
「え?」
ヒガンテさんは軽く笑うと、二度、三度指を鳴らした。何か嫌な予感しかしないのだけど……。
私の横にいた亜矢が口をはさんでくる。
「分かってると思うけど、原くんに手紙のことを言うのはナシよ。それをしたくないっていうのが加代の希望なんだから」
「加代ちゃんのお友だちの野川さんはそれを望んでないのです」
奈津も一言添えてきた。
「それは分かってるわ」
そう言ってヒガンテさんは立ち上がって、首を回した。ゴキリという骨が鳴る音が聞こえた。
立つと身長百九十センチの大きな体がより目立つ。それにしても大きい。私の身長なんて、ヒガンテさんの胸のあたりまでしかない。しかし、身体が大きいのもあるけれど、なによりちょっとコワイ。
「言ったでしょ? 私のとる手段ていうのはねひどく単純なものだって」
ヒガンテさんは軽く笑った。
「私の秘策とはね、こうすることよ!」
ヒガンテさんの目がギラリと光ったかと思うと、彼女は風下からガゼルに近づくメスライオンのようなしなやかな動きで原くんに向かって歩き出した。
そのとき、原くんの方はというと、とっくにお弁当を食べ終わって、岸田くんとダベっていた所だった。
原くんは岸田くんの後ろの席に腰掛け、なにやら雑談していた。
「そういえば、岸田よ。この昼休み中に言うんだべ? なんていうコ……」
その先のセリフを原くんは言うことができなかった。ヒガンテさんが彼に飛びかかったからだった。
「うぉぉぉッ!」
「な!? なんだぁ!?」
原くんが叫んだときはもう遅し、ヒガンテさんは原くんの肩をつかんだかと思うと、後ろ手に関節を極めた。
「痛ててててて! おいコラ! ヒガンテ! 何しやがんだ!」
「黙りなさい! 恋する乙女の前には、どんな抵抗も無駄よ!」
原くんの抗議も聞き入れられず、ヒガンテさんは原くんの細い身体を床の上に組み伏せてしまった。
原くんはサッカー部所属で、それなりに身体を鍛えてはいるだろう。しかし、不意打ちプラス、ヒガンテさんという規格外の体格を持ち、かつレスリングで将来のオリンピック候補という猛者を相手にしては流石に分が悪かったようだ。今は刑事ドラマの犯人のように、地面に組み敷かれてしまっている。
「さぁ! 早く! 手紙を回収するのよ!」
その猛禽類のような鋭い目で私を見ながら言うヒガンテさん。その心遣いはありがたいのだけれども……。それは無茶というものだ。だって、あまりの騒いだものだから、クラス中がヒガンテさんと彼女に押さえ込まれている原くんに注目している。この衆目監視の中、手紙を回収するなんて不自然なこと、できるわけがない。
「さあ! 十和田さん早く! 野川さんの恋路を邪魔する輩は退治したわ! 今がチャンスよ!」
大きな声で言わないでほしい……。
そんなこんなで私が身動きできないでいると……周りにいた男子数人係で原くんを救出にかかった。
「おい! ヒガンテ! 何やってんだ!」
「真っ昼間から大胆すぎるぜ!」
「ちょっ……違うわよ! 私は単に……ちょっと十和田さん、この分からず屋どもに説明してあげて!」
いや無理だし。
そうこうしているうちにヒガンテさんは男子十人がかりで原くんから引っ剥がされ、その後、騒ぎを聞きつけてやってきた体育教師数人に連行されていった。おそらく生徒指導室行きになったのだろう。
「違います! 私はただ単に、一人の女子の恋路を応援しようと……」
男の体育教師に脇を固められながらも、ヒガンテさんは必死に抗弁していた。
私はその一連の様子をただ唖然と見ていることしかできなかった。
「何だったのアレ……」
「さぁ……」
私の呟きに、亜矢は半分口を開けたまま答えた。
「ヒガンテさん、連れて行かれちゃった……」
奈津もどこから持ってきたのか、ルマンドをハムスターのようにポリポリかじりながら独りごちた。
後にはヒガンテさんが暴れたせいで、そこら中散らばったままの机とイスが残されていた。中の教科書やらがぶちまけられてしまったものもある。
私たちはとりあえず、台風が過ぎ去った後のような状態の教室を片づけることにした。
倒れてしまった机を起こしながら、私は考える。
『ヒガンテさんに頼んだのは失敗だった……』
だってあんなに自信満々に言うんだもの……。そりゃあ何かとっておきの方法があると勘違いしちゃうじゃん……。まぁさすがに生徒指導室送りになってしまったのは気の毒に思うけれど。そこらへんは後でフォローしておこう。
でもそれはそれで置いといて。
困ったことになった。
真理子の手紙がまだ原くんの手の内(正確にはブレザーのポケットの中だけど)にある、という事実は変わらない。
私はなんとしても放課後までにこれを取り返し、かつ岸田くんに渡さなければならないのだ。
教室も何とか片付き、私は自分の席に座る。頬杖をつきながら、どうやって手紙を取り返すかを考える。しばらくしてから、亜矢がやってきて、私の前の席に腰をおろした。
「ねぇ、どうやって手紙返してもらう?」
「うーん。それを今考えてるんだ」
「もうこうなったら、原くんに正直に話したら? 手紙のこと」
「それはダメ」
そう、その手はダメなのだ。今回の真理子の告白作戦は全て秘密裏に行われなければならないのだ。
しかし、一体どうやって取り返すのか?
こうしている内に時間はどんどん過ぎていく。お昼休みももうすぐ終わりだ。午後も授業があるけれど、放課後なんてすぐだ。移動教室でもあれば移動のどさくさに紛れてチャンスがあるかもしれないけれど、残念ながら午後からの授業に移動教室はない。
ちきしょー原と岸田の大馬鹿コンビめ。私がこんなに気を揉んでいるっていうのに間抜けな顔しやがって。私は呪いの視線を送るが、当の本人である原くんは、岸田くんと二人並んで座って話をしている。
「おい原、お前大丈夫か?」
「ちきしょーヒガンテの奴、思いっきり掴みやがって。まだ痺れてるぜ……」
しかめっ面で、岸田くんは左腕をさすっている。
思わぬ暴力を受けた原くんには同情を禁じ得ないが、これからどうやっって原くんから手紙を取り戻すのかを考えなければならない。しかも、彼に気づかれない、という条件付きでだ。
一体全体、そんなことができるのだろうか……。
そんなことを考えているとき、奈津がとことこと原くんの席に近づいていった。
「ねぇ原くん。袖のところのボタンがとれかかってるよ」
「んあ? あ……ほんとだ。ちっ、さっきヒガンテに掴まれたときに糸が切れちまったんだな。くそっ馬鹿力しやがって」
「私がつけてあげるよ!」
「お? そうか長谷川。悪いな」
そう言って原くんは、ブレザーを脱いで奈津に渡した。
そして奈津は、私と亜矢のすぐ横の席に座って、ポケットから取り出したソーイングセットで、チクチクやり始めた。
まったく、こう言ってはなんだけど、奈津はちょっとのんびりしすぎじゃないかしら? もうすぐ昼休みも終わりなんだから。お昼の授業もあるから、チャンスがないわけじゃないけど、限りなくゼロに近い。だから原くんから手紙を取り返すチャンスは、この昼休みが最後とみて良い。それが分かっているのかしら? それを呑気に原くんのブレザーを縫っちゃって、そんなことしてる暇があるなら、原くんのブレザーのポケットに入った手紙をどうやって取り返すかを考えて……。
「あぁぁぁぁぁっ!」
私が余りにも大きな声を出したからだろうか、奈津はビクッを身を震わせた。
「ど、どうしたの加代ちゃん? 手紙取り返す方法が見つかったの?」
目を丸くして私を見上げる奈津。
私は、奈津の席につかつかと歩いていって、彼女が手に持っている原くんのブレザーに手をまさぐった。
「な、なにするよ加代ちゃん! 勝手に人のポケットを探っちゃダメだよ!」
「何言ってるのよ。折角、原くんからブレザーを預かったんじゃない。このチャンスを活かさない手はないわよ」
「あ、そうか」
奈津も納得してくれたのか、抗議はすぐに止んだ。
たしか入れたのは左のポケットのはず。そんなに小さなものじゃないから、すぐに見つかると思うのだけれど…………あった!
私の手に、たしかな感触があった。
取り出してみたら、見覚えのある、白を基調とした封筒。ハートマークのシール。真理子の思いの全てが詰まった、大事な大事なモノ。
私は大きく息をついた。とりあえず、これが岸田くん以外の第三者に読まれるという心配はなくなった。何とか一安心だ。
安心したら、全身の力が抜けていくようだった。
しかし、これで全部終わりというわけではない。
この手紙を岸田くんに渡さなければならないのだ。それをどうするかが問題だ。そう、ハードルは一つでは無いのだ。
ところで肝心の岸田くんはどこに行ったのだろうか? そういえば、さきから姿が見えない。トイレか、それとも自家製弁当ではお腹が膨れず、またもや購買に買い出しに行ったのだろうか?
「岸田くんがどこ行ったか知らない?」
私は原くんに訊いた。余談だが、原くんは奈津にブレザーを預けっぱなしにしているため現在はワイシャツ姿だ。
「え? き、岸田? さ、さぁ知らないなぁ」
私の問いかけに岸田くんは、目を丸くして、裏返った声で答えた。
「購買にでも行ったのかしら?」
「う、うーん。そうじゃね?」
私は原くんを見据えて訊いたが、なぜか原くんは私に目線を合わせない。
…………怪しい。
一体なんだというのか?
しかし、岸田くんがいないならいないで都合がいい。早く岸田くんの机に手紙を入れてしまわなければ。
しかし、入れる場所が机の中、というのは少々こころもとない。岸田くんは整理整頓とは無縁の性格をしているらしく、机の中は結構グチャグチャになっている。まぁさすがに一ヶ月前のパンが入っていたりはしてなさそうだが。それでも教科書やらノートやらが、無造作に突っ込まれている。もし、あの中に真理子の手紙を入れたらどうなるか? 砂漠の中で一本の針を見つけ出せと言われるようなものだ。多分、見つけてもらえる確率は非常に低いのではないだろうか?
だとしたら、手紙は岸田くん本人に渡すのが一番確実だろう。しかし、肝心の岸田くん本人がいない。一体どこに行ったのだろうか?
帰ってくるのを待っててもいいのだけれど、もう昼休みの時間も残り少ない。ここは自分で動いた方が賢明かつ確実だろう。取りあえず、岸田くん本人を見つけてから、どうやって(本人に気づかれずに)手紙を渡すかを考えた方がいい。
そうと決まれば行動有るのみ。私は、教室を出て――出たところで、またもや思わぬ災難に見舞われたのだった。
「まったく、先生たちったら、説教が長いんだから……」
そうぶつくさ言いながら入ってきた大柄な人物。まるで大きな壁かと錯覚しそうなその人物こそが、さっき体育教師たちに連行されていった、ヒガンテ・ブランコさんだった。
私が教室を出たジャストの瞬間にヒガンテさんが入って来たものだから、出会い頭にぶつかってしまった。まるで大きなタイヤのような感触。私を思い切り弾き飛ばされて尻餅をついてしまった。
「あら、十和田さんゴメンナさい」
ヒガンテさんは謝りながら、私を助け起こそうとしてくれる。さすがはレスリングの将来の金メダル候補。私ごときがぶつかってもビクともしなかった。
「あぁヒガンテさん、こっちこそゴメンなさい」
ヒガンテさんに手を手を引いてもらって立ち上がった私は、何気なくポケットに手を入れて……そして『あること』に気づいた。
手紙がない……。
ブレザーの腰ポケットに入れたはずの、真理子の手紙がない。私は慌てて左右両方のポケットをまさぐる。
ない。
ブレザーの内ポケットと、ワイシャツ、スカートのポケットと探してみるが、手紙は影も形も消え失せていた。
私は自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。一体どこに行ったのか? 今、ヒガンテさんとぶつかった衝撃で落としたに違いない。
「十和田さん、どうしたの?」
ヒガンテさんが野太い声で訊いてくるが、それを無視して私は廊下の上に視線を這わした。
あぁ、もう! 折角取り返したっていうのに! なんでまたこんなことに……。
私が自分のついてなさに半ば呆れそうになっていたときだった。
「あれ、なんだこれ?」
そんな抜けた声が耳に入ってきた。
見ると名も知らぬ男子生徒が、どこかで見覚えのある白い封筒を手にして、それをしげしげと眺めている。
「これラブレターってヤツじゃねぇの?」
その男子の隣にいた別の男の子がいたずらっぽく笑った。
「誰のだろう。見てみよっと」
信じられないことをのたまいながら、その生徒は封を開けにかかった。
だめよ、開けちゃったら、真理子が……。
「ダメェェェェッ!!!」
私は声の限りに叫んだ。周囲にいた生徒たちが、何事かと私の方を振り向く。
例の男子生徒は、突然耳に入ってきた絶叫に驚いたのか、跳ね上がらんばかりに身をビクつかせた。
封筒を開けられることは何とか阻止した。
しかし、男子生徒の手を離れた封筒は中に舞い上がり……そして窓から外に蝶々のように吹かれて出て行ってしまった。
なんて事!
私はふくらはぎの筋力の全てを総動員して、ダッシュ。青空を背景に踊るラブレターに飛びついた。
「危ない! 十和田さん!」
後ろからヒガンテさんの声が叫んだ。
もう少しで届くか? しかし、残念なことに数ミリの差で取り逃してしまった。余談だが、このとき、私がいたのは校舎の三階だった。あと少し勢いがついていたら、私は窓から落ちていたかもしれない。
私の手から逃れたラブレターは、ひらひらと雪のように舞うと、コンクリートの地面にポトリと落ちた。
あーもう。あと少しだったのに!
私は唇を噛んだが、済んでしまったことはしょうがない。今は後悔しているよりも先に、手紙を回収しなければならない。特に、もうお昼休みは終わりに近づいている。今からダッシュして手紙を取りに行かないと。
そのときだった。
「ありゃーなんじゃこりゃ」
しゃがれた声で、ラブレターを見下ろしている人物がいた。水色のツナギを着たそのおじさんは、我が校の用務員のおじさんだった。
「まったく、どこの悪ガキじゃ。散らかしおってからに」
そうブツクサ文句を言ったあと、おじさんは手にした火バサミで手紙をつかむと、別の手に持っていたゴミ箱に無造作に放り込んだ。
「これでひと段落じゃなー」
おじさんは首を回しながら、視界の端、グラウンドの『ある』場所に向かって歩き出した。
そこには鉄製の大きな立方体が据え付けられていて、そこから延びた鉄煙突からは、黒い煙が立ち上っていた。立方体の上部の口からは、内部でオレンジ色の火が燃えさかっているのが見えた。焼却炉だ。
「ダメーーーッ!!!」
私は今日、何度目になるだろうか。またもや声の限り絶叫した。
しかし、おじさんには聞こえていないようで、こちらを見向きもしない。
これは自分で行った方が早い。
そう判断した私は、踵を返すと廊下を疾駆、階段を三段飛ばしで駆け下りると、昇降口から跳び出て、グラウンドに向かって走り出した。
前方に目をやると、用務員のおじさんがゴミ箱の中身を焼却炉に放り込もうとする、まさにその瞬間だった。
「待って! 待ってェーーー!」
私は声の限り叫んだ。
私の声がなんとか聞こえたのだろう、おじさんは一瞬止まって、あたりをキョロキョロ見回す。しかし、空耳だと思ったのか、すぐにゴミを焼却炉に入れる作業に戻った。
もう終わりか。
しかし、さっきおじさんが一瞬止まるのを私は見逃してはいなかった。その一時停止したタイムラグが大きかった。どんな分野でもそうだが、極限下で明暗を分けるのは、こういうゼロコンマ何秒の差なのだ。
おじさんはゴミ箱の中身を炉の中に押し込んだ――。
そのとき、私の目は捉えた。ゴミの中に真理子の手紙が混じっているのを。あの白い封筒は間違いない。人間、限界まで集中力が高まると、通常よりも感覚が鋭くなるそうだが、今の私がまさにそうだ。
私の手は真理子の手紙に届く。そう信じて私は右手を伸ばす――。
「よーし、これで終わりっと」
そう言うとおじさんは無造作に炉の扉を閉めた。
勢いがついていた私は、急に止まることができず、扉にしたたかに額を打ちつけた。
ゴンッという鈍い音が頭蓋骨の中に響いた。
やばい、滅茶苦茶痛い。思わず涙がでそうになる。
「おいっ。お嬢ちゃん大丈夫か!? 今すげぇ音がしたぞ!?」
おじさんは心配そうに私をのぞき込んだ。
私は自分の右手を確認する。そこにはラブレターは……なかった。
私は額が痛いのも我慢して、炉の扉に飛びつく、中では黄色い火がまるで狂ったように踊っていて、地獄のようだった。熱がこっちまで伝わってきて、顔が焼けそうになる。こんな中にラブレターなんて紙製のものを入れたらどうなるかは、文字通り火を見るより明らかだろう。
「お嬢ちゃん、危ないぞ」
おじさんは慌てて炉の扉を閉めた。私はその横で、まるで彫刻になったように立ち尽くしていた。
おそらく、真理子の手紙はもう燃え尽きてしまっただろう。
あーなんてことになったんだろう。
私は教室へ戻る足取りは、ゾンビのように重い。そりゃあそうだろう、真理子がその思いの全てを込めたラブレターが、灰燼に帰してしまったのだから。
私は五、六時間目の授業も上の空だった。正確に言えば、授業を受けていた記憶がない。おそらくは授業中、なんて真理子に謝ればいいのだろうとずっと考えていたので、記憶がすっぽりと抜けていたのだろう。
そして放課後がやってきた。
ホームルームが終わったあと、私は重い足を引きずって、四組の教室に向かった。
悪いことは早いうちに言わなければ。本当なら五時間目が終わったときにすぐに言わなければならないのだろうけれど、その勇気がなかったのだ。
しかし、放課後になってしまえば、ごまかしは利かない。正直に言うしかない。
四組の教室に真理子はいなかった。同じクラスの人に訊いたら、ホームルームが終わるや否や、そそくさと帰ってしまったのだという。
岸田くんを呼び出しているのだから、本当に帰ったというのはないだろう。おそらく真理子が向かったのは、岸田くんを呼び出した校舎裏だ。
そう思い至った私は、自分もそこに向かうことにした。しかし真理子のヤツ、随分と気の早い話だ。岸田くんを呼び出した時間までにはまだ三十分近くあるのに。
校舎裏には真理子は来ていなかった。陽が当たらず、いつもどこかジメジメした湿気が漂っている校舎裏には、人っ子ひとりの影も見えなかった。どうしたことだろうか。
もしかして、私の思い違いで、真理子は全く別の所に行ったのだろうか。告白するのが急に怖くなって逃げ出したとか? いや、真理子の性格からしてそれは考えづらい。だとしたら真理子はどこに? そう思ったときだった。
向こうから、私がよく見知った人影が歩いてくるのが見えた。平均より低めの身長。ボブカット。間違いない真理子だ。何か良いことでも合ったのだろうか、なぜかニコニコしている。
そして、今やっと気づいたのだが、真理子の横に誰かいる。二人一緒にこっちに向かってくる。その人物にも私は見覚えがあった。岸田くんだ。
真理子と岸田くんの二人が仲良く連れ立って歩いてくる。
私の記憶が確かならば、真理子が岸田くんへ当てた手紙は燃え尽きてしまったはずであり、真理子から岸田くんへ意思疎通する手段はないはずなのである。いや、それ以前になぜ真理子と岸田くんが仲睦まじく並んで歩いているのか?
私の頭が混乱していると「あっ加代ちゃーん」。私がいることに気づいた真理子が、ヒマワリのような笑顔で手を振ってきた。
ちょっと今の状況がつかめていない私は、取りあえずヒラヒラと手を振り返す。
私の頭のメモリーがフリーズ寸前なのに気がついたのか、それとも気づいていないのか、岸田くんが衝撃的なことをのたまった。
「俺と野川さん、付き合うことにしたんだ」
…………。
……はい?
「だから、俺と野川さんが付き合うことになったの」
え、え? なんで? どうして? 手紙は燃えちゃったのに。混乱する私の背後から、おどけた調子の声が聞こえた。
「今日の昼休み、岸田からコクったんだよなー」
振り返るとそこにいたのは、岸田くんの良き相棒、原くんだった。
「そうなんだよ。いやー前々から野川さんのこと、気になってたんだよねー。それで今日の昼休み、呼び出して思い切ってコクってみたんだよ。そしたら野川さんの方も、俺のことが気になっていたらしくて、とりあえず、お友達からってことで」
岸田くんは照れたように頭をかく。
その横で真理子もニコニコ笑っている。
「いやー二人ともおめでとさん! お幸せにな! っておい、十和田お前どうしたんだよ!? 顔真っ青だぞ?」
うーん、あんまり大丈夫じゃないかもしれない。
「加代ちゃん大丈夫? 保健室、一緒に行こうか?」
それ良いかもしれない。取りあえず私、ベッドに横になりたい。っていうか、私が今日、一日やってきたことって一体……。手紙の入れ間違いに気づいて、なんとか原くんから取り返すこと考えて、ヒガンテさんにも手伝ってもらって、その結果手紙が燃えちゃって……。
今日、起きたことを走馬燈のように思い出したら、私の体から力が抜けていった。
「いやー良かったよ。最初は断られるかと思ってさ」
岸田くんは満面の笑みを浮かべる。
「ううん、そんなことないよ」
「だってよ。良かったな岸田! 野川!」
笑いあう三人を見ながら、全身の力が抜けた私は、その場にへたり込んだ。
コンクリート製の地面が、いつもより冷たく感じられた……。