9月7日(金)④ 襲撃
最初は雷でも落ちたのかと思った。それくらいの衝撃音だった。
しかし、さっきまで目の覚めるような晴れ間が広がっていたことを思い出し、その考えは却下した。次に思い至ったのは、障害物にでもぶつかったのであろうかということ。しかし、模擬店の残骸以外は何もないグラウンドで、それはありえないことに気がついた。
気がついたときは、窓からのぞき込んでいたジュンは、そのままの姿勢で地面に振り落とされてしまっていた。
「一体何!?」
私は誰にともなく叫んでしまった。
「近くに妖気の反応です! ……これは山鰐……」
「え……」
私は思わず窓から、外を確認していた。周囲には、以上は見あたらない。さっきまでのグラウンドの風景が広がっているだけだった。
「いてて……」
先程のショックで、屋根からたたき落とされてしまったジュンが呻いた。
「ジュン! 大丈夫!?」
「あー何とかな。とっさに受け身とったから最小限のダメージですんだわ」
腰をさすりながら、ジュンが答えた。ぱっと見、ケガなどはしていないようでとりあえずは安心した。が、そのときもう一度ワンボックスに衝撃が走った。そのショックで車体が大きく揺れ、私は前の座席におでこをぶつけた。
ジュンがいたのと反対の窓から外を見る。その光景を見たとき、私は恐怖のあまり卒倒しそうになった。
尖った鼻先、ネズミ色の体色、酷薄そうな目、間違いない、例の山鰐だ。その凶悪なサメが地面から半分だけ体を出し、ワンボックスにのしかかろうとしているのだった。
「山鰐め、地面に潜っていたとは……」
ハンドルを握りながら、チカゲちゃんが口惜しそうにつぶやく。
「おそらくは地面に隠れていたせいで、妖気も感じられなかったのでしょう。迂闊でした……」
山鰐はまた地面にとけ込むように消えてしまった。どうやらまた地中に潜ってしまったようだ。
「くっ……。どこに行っちゃったの……」
「あそこです!」
チカゲちゃんが指さした方に視線を向ける。そうすると、地中から、特徴的な三角形の背びれが見えた。その背びれは茶色のグラウンドの表面を、悠然と動いている。
海面から突き出るサメの背びれ。世の中には星の数ほどのサメ映画があるが、このショットのないサメ映画は存在しないのではないだろうか。
しかし、そんなことを悠長に考えている間はない。私はスライドドアを開け、外にいたジュンを救出にかかる。
「ジュン! 早く乗って!」
「おぅ、あー痛てて……」
さすがのジュンでも、高さ二メートルから放り出されたダメージは大きかったのか、わき腹を押さえながら歩いている。
私はジュンに肩を貸しながら、なんとかワンボックスに収容した。
ドアをしめた瞬間、地面から山鰐が飛び出てきて、大きな口を開けて、私とジュンに食いつこうとしてくる。山鰐の巨体にぶつかられて、ドアがへこむ。
「チカゲちゃん! 出して!」
言うが早いか、チカゲちゃんはアクセルを踏み込んで、この場から、離脱をはかったようだった。
「ジュン、大丈夫?」
「あぁ、わき腹が少し痛むけど、骨が折れたりとかはしてねーみたいだ。少し休めば大丈夫さ。はは、日頃の稽古のおかげだな」
ジュンが自嘲気味に笑う。
そのとき、またもや車体が揺れた。
「ひぃっ!」
窓の外の光景に、私は思わず小さく声を上げてしまった。
さっきと同じように、山鰐がクルマに体当たりしてきたからだった。またもや大きなショック。車体が大きく揺らぐ。
それからもう一度、山鰐が体当たりしてくる。どうやら奴は、このクルマを横倒しにしようとしているらしい。
「風月丸!」
チカゲちゃんが風月丸を呼び出した。高速度で走るクルマ。その影から風月丸が姿を現わした。しかし――。
肝心の山鰐がいない。
私は窓から外を確認するが、通り過ぎてゆく景色だけで、サメの姿は影も形も見えなかった。
反対側の窓からは、ジュンが見ていてくれたが、彼女の方も同じらしく、私の方を見て首を振るだけだった。
一体どこへ消えたのだろうか。そう思った瞬間。バコンという乾いた音とともに、クルマが沈んでいく。続いてシューという音が耳に入ってきた。
あ……。
「やられました」
チカゲちゃんが悔しそうにハンドルを叩いた。
タイヤだ、クルマのタイヤをやられたのだ。もうこれでこのワンボックスは動くことができない。もちろんスペアタイヤがあれば別だが。念のため、車内を確認するが、替えのタイヤらしき物体はついぞ見つけることができなかった。
「ちくしょう。なんてこった」
ジュンがおでこに手をやりながら叫んだ。
「ヤツは知っていたんです。クルマという道具がどんなモノか。どこが弱点なのかも」
山鰐は手強いと以前にも聞いていた。しかしながら、山鰐は予想以上に強敵らしい。
「くそっ、だったら降りて近くの校舎まで行こうぜ」
ジュンがスライドドアを開けるて飛だそうとしたーー。
「ダメよ!」
私はとっさにジュンの腰にしがみつく。と同時に地面から山鰐が飛び出してきて、ジュンの鼻先数センチの所をヤツの大きな顎が通過していった。ジュンの短い髪が数本、ハラリと舞った。
「ダメよジュン。ヤツは私たちが焦って外に飛び出すのを待ってるのよ」
「サ、サンキューナナミン……。おかげで命拾いしたぜ……」
氷のように真っ青な顔をしながら、礼を言うジュン。
私たちが今置かれている状況を確認する。
グラウンドのど真ん中で立ち往生。おそらく四本すべてのタイヤがやられている。クルマの外にはサメ。
学校には私たち三人以外、誰もいない。救助もこない。これは参った。
私は思わず、窓から外の風景を見てみる。いつもとそんなに変わらない風景。私がこの二年間、何度も見てきた光景。違うのは文化祭用の模擬店のテントがたててあるだけ。しかし、その光景は一匹のサメのせいで絶望的なモノに変わってしまった。
「おーい! 誰かいませんかー!」
ジュンが叫んでみる。しかし、悲痛な沈黙が返ってくるだけだった。
「くそっ、こうなったら仕方ねぇ。警察に連絡して……」
「ダメよ」
「えっ、どうしてだよナナミン」
「110番になんて説明するの? 陸の上でサメに襲われていますなんて言って信じてもらえると思う?」
ジュンは答えない。
「万が一信じてもらえたとしても、警察を呼んだことを生徒会が知ったらどうなるの? この山鰐退治は失敗した、と見なされちゃうわ。そうなったら文化祭は中止になっちゃう」
「じゃあどうしろっていうんだよ!」
「決まってるわ。私たちだけでこの状況を切り抜けるしかない」
「その具体的な方法はあんのかよ」
……。
ない。
「そら見ろ。何の策もねぇのに適当なこと言ってんじゃねぇよ」
ジュンが悪態をつく。
車内に沈黙のとばりが降りた。
……気まずい。
しかし、その静寂を流麗な声が破った。
「策がないこともありませんよ」