ゆーべの創作ブログ

マンガ、アニメ、ラノベ、その他創作についての徒然日記でやんす

黄昏ゆく教室で

「話ってなに?」
 クラス委員長の西沢美樹はやってくるなり、そう訊いた。
 俺が西沢を呼び出したのは、俺が普段、勉学に励んでいる二年五組の教室。放課後なので俺と西沢以外、人っ子一人いない。

 なぜ、俺こと木下洋介が西沢を呼び出したかというと、俺が西沢に告白するからなのであった。
 いやー前から西沢のことが気になってたんだよね。
 どちらかというと、西沢は生真面目な委員長タイプ(事実、西沢は俺たちのクラスの委員長だ)。対して俺の方は、自分で言うのもなんだけど、軽くてチャラいタイプだと思う。

 ぱっと見、相性が良いとはいえないかもしれない。事実、ツレのコータやゲンは「西沢美樹? あの娘はお前と合わないって」って言ってた。
 でも、そんなことって実際に付き合ってみなけりゃ分かんないだろ? 何事もやってみなけりゃ分かんないってね。
 美女と野獣って言葉があるように、世の中には思いも寄らないカップルって腐るほどあるじゃん。そんな美女と野獣カップルに比べたら、優等生とチャラい奴とのカップルなんて珍しくもなんともないと思うぜ。

 実際、西沢ってそれほど顔は悪くないと思うし。
 綺麗な玉子型の顔に大きな目。
 セミロングの黒髪。
 セルフレームの眼鏡の向こうには、意志の強そうな瞳がある。
 体は太すぎず、痩せすぎず。かといって出るところはきちんと出ている。いや、きちんと出ているというかなんというか……。
 もういいや、この際だからはっきり言おう。
 西沢はうちのクラスの女たちの中では、かなりスタイルがいい方だ。胸はどれだけ小さく見積もってもDはある。それでいて腰は抱いたら折れてしまいそうなほどに細くて、ヒップも見事なまでの安産型だ。
 
 コータやゲンにも「西沢はかなりイケてる説」を熱弁したのだが、ついぞ聞き入れてくれなかった。
 コータのアホにいたっては「洋介、お前、目ェ大丈夫か?」なんて言いくさりやがった。
 まぁいいさ。いつの時代も本当の価値が分かる者は少ないのさ。

 今まで五人と付き合ってきたけれど、西沢はその誰とも異なるタイプだ。生真面目で融通が利かない、いつもきちんとしていないと気が済まない……。はっきり言って俺みたいなちょっとテキトーな人間とは合わないかもなーなんて思ったよ。 
 でも自分と全く違うタイプと付き合うことで、自分の中で何かが変わるかもしれないし。

 取りあえず、付き合いたいってなったら、まずは告白しなきゃならないよな。というわけで、放課後の現在、西沢を教室に呼び出したってわけ。どうやって呼び出したかって? 休み時間中に「今日の放課後、教室に来てくれない?」って言っといたのさ。
「誰にも聞かれたくない、大事な話がある」っていっとけば、律儀な西沢のことだから、絶対来てくれると思った。実際、その予想は当たったし。ちょっと卑怯じゃないかって? それは仕方のないことさ。恋に手段は選んでられない。

 そして告白本番。
 俺はゆっくりと深呼吸する。
 あーやっぱり、いつになっても告白するのって緊張する。中二のときに初めて女に告白してから早三年。いつかは慣れるかと思ってたけど、いつになっても慣れるもんじゃねーなこれ。

 場所は我らが二年五組の教室。
 絶好のシチュエーション。
 もう一度深呼吸したあと、俺は思いきって切り出してみた。
「西沢さん!! 前からずっと好きだったんだ!! 俺と付き合ってください!」
「イヤよ」
 え……。
 俺の渾身の告白は、いともあっさりと撃沈させられた。一切の躊躇もなく。ノータイムで断られてしまった。
「お、俺みたいなやつ、嫌い? でも自分で言うのもなんだけど、俺、結構良い奴だぜ? 多分、西沢さん、俺のこと誤解してると思うから、お試しでいいから付き合ってみない?」
 俺は今目の前で起きたことが理解できず、訊いてみた。
 
 自分でいうのも何だが、俺は容姿にはそれなりに自信はある。髪は毎日きちんとスタイリングしているし、服は雑誌で研究して似合うやつを厳選している。背だって高校生の平均から見たら高い方だろう(百八十センチ)。ダチもコータやゲンやとイケてる奴らばっかり。女友達もアヤカやマホと可愛い系のコらが揃ってる。スクールカーストで考えたら、間違いないく『一軍』だ。

「理由その一」
 西沢は人指し指を立てて俺に示してみせた。
 
「私、木下くんのことが大っ嫌いなの」
「え……」
「私、木下くんみたいに明るくて、ちょっとおバカでノリがよくて、いかにもクラスの人気者ですって顔してる男子が死ぬほど嫌いなの」
「……」
「木下君の周りにはいつも人がいっぱいいるわよね。杉原光太くんや源田真くん。そんな人たちに囲まれて、幸せそうにスクールライフをエンジョイしてるわよね。今、木下くんが当たり前みたいにしている暮らしは、私みたいな根暗な人間には、手に入れたくてもどうしても手に入れられないものなの。私が欲しいものをアホ面さらしながら、当たり前のように消費している。そんなあなたのことが大嫌いなの」
「……」

「理由その二」
 西沢は指を二本立てた。第三者が見たらピースサインをしているように見えるだろう。
「私、他に好きな人がいるの」
 え……。
 好きな人、それは西沢が思いを寄せている男がいるということ。
 つまり、俺のことはあんなに口汚く罵っておきながら、そいつとはイチャコラしたいというわけだな。
『こ の お れ を フ っ て ま で』

 意中の相手に拒絶される。その事実に俺は意外なまでにショックを受けた。
 さっき言ったように、俺は今まで五人と付き合ってきた。だけど振られた回数もそれなりに多い。野球で言ったら、打率は一割くらいだろう。振られたときは、それなりにショックだったさ。でも五秒たたずに持ち直してきた。「ありゃ振られちゃった。ま、いっか。次の娘いこっと」ってな具合に。
 しかし、西沢に振られたいま現在は違う。明らかに、胸に大きな穴が空いてしまった。これは一週間や一ヵ月では治そうもない。俺は、自分でも思う以上に西沢のことが好きだったのだ。
 
「西沢の好きな相手って誰?」
 俺はストレートに訊いてみた。
 別に親しくもない女子(これから親しくしようとしていたんだけどな!)に好きな男の子とを訊くなんて、マナー違反かもしれない。しかし、俺はなんとしても訊いておきたかった。俺を振ってまでそいつのことが好きだっていう、その相手のことが気になってしまったのだ。

「うーん。どうしよっかなー」
 西沢は指で唇を押さえながら言った。そんなイタズラっぽい仕草が、なんともいえずカワイイ。
「まぁ良いわ、特別に教えてあげる」
 てっきり断られると思っていたのに。この返事は意外だった。
「だ、誰……?」
「吉村くんよ。吉村直之くん」
 ……。
 ……。
 ……。
 え、それ誰?

 俺は頭の中のメモリーを必死に検索してみた。
 しかし、どれだけ探してみてもヨシムラナオユキなる人物のデータは出てこなかった。 
「やれやれ、自分のクラスメイトのことも覚えていないとはね。二年に上がってから二か月も同じ教室で机並べて勉強しているのに。まぁ木下くんって友達以外の人のことって興味なさそうだもんね」
 西沢は呆れたように息を大きく吐いた。
 
 まぁ実際に西沢の指摘は当たっているのだけど。俺はあんまり他人に対する関心が薄いタイプだと思う。
 でも「友達以外の人のことって興味なさそう」ってのは言い過ぎだろ。一応、仲の良いコータやゲン、それとアヤカやマホ以外のことも知ってるっちゃあ知ってるぞ。

 それに特別仲が良いわけじゃないヤツのことを知らないなんて、別に普通じゃないか?
 まぁ俺みたいに、一緒のクラスにいたっていうことまで覚えてないってのはさすがにどうかとは思うけれど。

「窓際の列、後ろから三番目の席に座ってるじゃない」
 西沢が腕組みしながら言う。
 それで俺は頭の中の教室の映像を映し出す。
 窓際の列の後ろから三番目……。そう言えば、そんなヤツがいたような。
 俺の頭の中に、おぼろげながらもヨシムラナオユキなる人物が浮かび上がってきた。
「それと、今日の体育の時間に、木下くんからヒットを打ったじゃない。覚えてるでしょ?」
 え!? マジで!? 
 今日の体育は男子はソフトボールで、俺はピッチャーをやっていた。体育の授業がソフトボールに切り替わって今日で三回目だけど、俺はいつもピッチャーをやっていた。だって一番目立つじゃん。
 それで今日は調子が良くて、途中までヒットを打たれてなかった。それが、三回にヒットを打たれちまったんだよなー。それでそのとき、俺からヒットを打ってくれやがったのが……。
「それと木下くんの大きい当たりを、ライトフライで捕ったじゃない」

「あー!! あいつか!」
「やっと思い出したのね」
 西沢が腰に手を当てながら、ため息をついた。

 このとき、俺はようやく吉村直之のことを思い出していた。
 背は男子にしては低め。それでいてやせっぽち。タレ目で普通にしているときでもどこか笑ったような顔つき。確か美術部に入っているんだっけ。
 なるほど、なるほど。ようやく思い出したぜ。まったく手間をかけさせやがって。
 ……。
 ……。
 ……。
 ところで、何で西沢が男子の体育の授業のことを知ってるんだろうか? 確か女子は同じグラウンドで走り幅跳びをしていたから、見ようと思えば見ることができる。でもそれにしたって詳しい内容まで知りすぎなような気がする。
「知ってて当たり前よ。だって私、体育の最中、ずっと吉村くんのこと見てたんだから」
 西沢は悪びれもなく、平然と言い放った。
「何よ悪い!? 自分の好きな男の子のことをずっと見ているのがそんなに変かしら!?」
 いや、授業ちゃんと受けろよ。俺が言うのもなんだけどさ。

 めでたく吉村の顔を思い出した俺だが、ここでひとつ、大きな疑問がある。
 吉村は決して男前とは言えないのだ。いつも笑っているような顔。髪型にも気を配っているようには見えない。運動もそこそこな方だ。
 こう言ってはなんだけど女にもてそうなタイプに見えない。一体、あんなもっさいヤツのどこが良いのだろう? 

「なぁ西沢」
「うん?」
「お前、吉村のどこがいいんだ? あんなダ……なんの特徴もないやつ」
「あら、木下くんには彼の良さが分からないのかしら」
 西沢はいたずらっぽく笑った。
「仕方ないわね。じゃあ私が木下くんに吉村くんのことを教えてあげるわ。でもその前に……」
 西沢は話を途中で区切ると、つかつかと早足で俺の方に歩いてくる。
 彼女の恐ろしく作りの整った顔立ちが、目と鼻の先まで差し迫ってきた。黒だと思っていた眼鏡のフレームが茶色だと分かるくらいにまで近寄ってくる。
 レンズの向こうの切れ長の目が、わずかに細められた。
 西沢は足を小さく踏み込んで、次の瞬間に……俺の股間を蹴り上げた。
「ぐぼっ」
 思わず動物のような呻き声をあげてしまう。
 
 学校指定のローファー。その踵が俺の急所に見事にめり込んでいた。西沢はつま先を上に向けて蹴りを放っていた。だからピンポイントで、かつ最大限に、一分の無駄もなく、キックのダメージが俺の股間に集中していた。
 男なら、もし自分の急所を蹴り上げられたらどうなるかは、想像がつくと思う。

 俺の背骨に、股間にダメージを受けたときの『あの』特有の痛みが走り抜ける。
「ご……がぁ!」
 俺は胃の底から呻き声をあげながら、その場にうずくまった。

「ふん、まるで野良犬みたいな声ね」
 西沢は俺を蔑むように俺を見下ろす。
「お、お前、何しやがる」
「木下くん、さっき吉村くんのこと『あんなダサいやつ』って言いかけたでしょ」
 ばれてた。
「これはその報いよ」
「て、てめぇ、だからってこんなことが許されると思ってんのか」
「いちいちうるさいわね。それくらいで済んだんだからありがたく思いなさい」
 床の上に亀のようにうずくまる俺。そんな俺に西沢はまるで虫でも見るような視線を送ってくる。
「今度吉村くんのことを悪く言ってご覧なさい。あんたのその汚いペ○ス捻り切ってやるからね」
 俺は股間にむずがゆさを感じ、さらに身を縮こませた。それはともかく、うら若き女子高生がペ○スなんて口にするなよ……。
「それで何だったかしらね。ああ、そうそう、私がなんで吉村くんを好きになったかよね」
 西沢は腕組みしながら、何かを思い出すように視線を中に這わせた。

 ところで、視線が下がった今の状態では、西沢のスカートの中身がかなり際どいところまで見えている。西沢はスカートを短くしているので尚更だ。俺の今の体勢からは、白く、柔らかそうな太股が露わになっている。

「あれは今年の四月、美術の時間よ」
 西沢が語り出した。俺がスカートの中の秘所を見ようと、生足をガン見していることなど、露にも思っていないであろう。 
「その日はデッサンの授業だったわ。何脚かの机に、リンゴとかレモンとかを置いて、各人好きな机に分かれて静物デッサンをしていたわ。私はこう見えても、芸術方面にはうといの。だから一番簡単そうなレモンを選んだわ。でもね、やっぱり私に美術の才能は無かったみたい。できがった絵は、とてもレモンには見えない代物だったわ」
 西沢のその絵は確か俺も見たと思う。まぁそのころから西沢に目をつけていた俺は、西沢がどんな絵を描くのかちょっと興味があったのだ。その結果は……。まぁ天は二物を与えずってやつだな。西沢が描いた絵はどう見てもレモンではなかった。どうみても、どこか遠い宇宙からきた謎の物体にしか見えなかった。
「いらないこと思い出してるんじゃないわよ」
 西沢は俺の後頭部を思い切り踏みつけた。その勢いで俺は思い切り床で鼻を打った。
 ここで俺が顔を上げることがたら、西沢の下着を拝むことができるのだが……。残念なことに、俺の後頭部は彼女のパワフルな足の力で押さえつけられていたため、それは叶わなかった。

「そして次の週の美術の時間。その日、私は先週のリベンジに燃えていたわ」
 海をバックにポーズを決めてる船乗りのような体勢のまま、西沢は語り始める。
「今度こそ、完璧なレモンを描いてみせる! そう心に誓ったわ。でも……神様は残酷にね。これが少年漫画だったら、私は見事なレモンを描いていたのでしょうけれど。実際は上手くいかなかったわ。私は悪戦苦闘したわ。でも、どこからどう見ても、先週よりも良いものができるとは思えなかったわ。私は自分の絵のセンスのなさに絶望した」
 まぁそりゃあそうだろう。たった一週間やそこらで絵が抜群に上手くなるはずがない。
「私が自分に絶望しかかっていたとき、斜め後ろに座っていた男子が声をかけてきたの。それが吉村くん」
 ははぁ読めてきたぞ。
「絵が上手く描けなくて困っていた私に吉村くんは優しく言ったわ『ははは、西沢さん、それじゃ上手く描けないよ』ってね」
 最初は吉村から声をかけたのか。以外だな、結構おとなしそうなヤツなのに。
「最初は私も戸惑ったわ。吉村くんとは、あまり話したことが無かったし、男子と話すこと自体そんなに多くなかったし。はっきり言って、そのときの私は、かなり挙動不審だったと思うわ。でもそんな私に、吉村くんは懇切丁寧に教えてくれたの。鉛筆の持ち方から、デッサンのコツまで。まぁ基本中の基本ばかりだけどね」
 確か吉村って美術部だったな。ははぁ、だから絵のことに詳しいのか。
「それで吉村くんの指導の甲斐あって、なんとか前よりは幾分マシなものが描けたの。まぁ前に描いた物が描いた物だったし、とても上手いとは言えるものじゃあないでしょうね。でも嬉しかったわ。それは私にとっては、確実な進歩だったんだから。吉村くんに教えてもらうまでは、そりゃあひどい物を描いていたの。それプラス、なんで自分が下手なのか、その理由も分かっていなかったんだから。それが彼に教えてもらうことで、自分のどこが駄目なのか、どうしたら上手くなるのかが分かったんだから」
 吉村って案外、先生とか向いてるのかもしれないな。

「それで悪戦苦闘して、なんとか描きあげたところに、偶然先生が通りかかったの。先生、私の絵を見て一言『お、西沢、先週よりも良くなってるな』って言ってくれたの。私、嬉しかったわ。褒められたのも嬉しかったし、絵が上手くなったのも嬉しかったし、自分が絵なんていう表現行為について『ちょっとは面白いかも』なんて思えたことが嬉しかったわ。そこでふっと力を抜いたの。そうしたら……」
 そうしたら? 
「『ね? 絵も別に捨てたものじゃないでしょ?』って吉村くんが満面の笑みを浮かべながら言ったの。私、その顔を見て、五秒くらい固まっちゃったわ。あまりにも楽しそうに言うんだもの。それから私は授業を放り出して、トイレに行ったわ。だって、それ以上、吉村くんの顔を見てられなかったんだもの。トイレで顔を洗って、それから鏡を見たの。そうしたら、ニヤニヤ薄ら笑いを浮かべている私がいたわ。なんて気持ち悪い顔してるんだろうって自分のことながら思ったわ。でもそんなこと関係なかった。体育のあとでもないのに、何故か心臓がバクバクいって止まらなかったわ。思えば、あのときから私は吉村くんのことが好きになっていたのね」

 言い終わると、眼鏡の委員長は俺の後頭部から足をどかした。やっと床にキスをしなくてよくなった。
「それから私は、授業中もお昼の時間もずっと吉村くんのことばかり考えていたわ。家でご飯を食べているときも、テレビを見ているときも、ミカとLINEしているときも、お風呂入ってるときもずーーーっと吉村くん、よしむらくん、ヨシムラクン。吉村くんのことばかり考えてるの」
 そりゃあ間違いなく恋だな。
「エビフライの頭が吉村くんの顔に見えたこともあったわ。テレビでバラエティ見てるときも『くだらないタレントなんか映さないで、吉村くんの部屋を映してくれたらいいのに』なんて考えてたわ」
 ……。
「そうだ! この機会だから良いものを見せてあげるわ」
 弾かれたようにそう言うと、西沢は教卓に駆け寄っていって。置いてあった自分のリュックサックから、何かを取り出した。
 亀のように丸まっている今の姿勢からは分かりにくいのだが(まだ全身に力が入らない。くそっ、この女、思いっきり蹴り上げやがって)、それはどうやら紙の束らしかった。
「何、それ?」
「私と吉村くんが主人公の小説よ!」
 西沢は真夏の太陽のような輝かしい笑顔でそう言った。
「本邦初公開よ! 今から朗読してあげるから、心して聞きなさい」
 それからペロリと舌なめずりすると、鬼女のようにランランと輝く目で原稿を読み始めた。

 そこから先は、俺にとってはまさに地獄だった。
 何の因果で自分が好意を寄せている女と、その女が好きな男が出てくる小説を読み聞かされにゃならんのだ。
 いや、西沢の書いた『それ』は小説と呼んでいいのかどうか疑わしいシロモノだった。ただの文字の羅列だ。普通の小説なら、ストーリーがあるけれど、それがない。
 ただ単に西沢の病的な妄想と欲望と爛れた願望を原稿用紙に叩きつけただけ、といっていいものだった。
 
 そこからの俺の置かれた状況は、まさに悪夢といっていいものだった。

『ぼ、僕、前から西沢さんのことが好きだったんだ』
『ああ……私もよ吉村くん』
 最初は西沢と吉村が付き合い始めるところから始まった。ああ、吉村の方から告白したっていう設定なのか。やはり委員長も男の方から告白してほしいらしい。
「あ、このときのシチュエーションは、夜八時半、街の全景が見える丘の上公園の桜の樹の下って言う設定ね」
 我らが委員長はディティールにこだわる性格のようだ。

『西沢さん、今度映画観に行かない?』
 初デートは映画らしい。まぁ定番っていえば定番だわな。
「それでー映画の帰り、夜道で木下くんみたいなチンピラたちに絡まれるの。『へっへっへーどうだい姉ちゃん、そんなヤローより俺らと良いことしねぇかい?』みたいな感じで。そこを私の吉村くんが、勇気を出して暴漢をやっつけてくれるの」
 西沢の目がハートマークになっている。これはいわゆるアレか、お姫様のピンチを白馬に乗った王子様が助けてくれるってやつか。これもお約束って言えばお約束だな。しかし西沢よ、美術部のインドア派にチンピラを撃退しろっていうのは無理があると思うぞ。後、チンピラが出てくるのはいいけど、それがなんで『木下くんみたいな』なんだ。

「それでぇ、初キスは付き合って五回目のデートで! 遊園地の観覧車の中で、時間帯は午後五時過ぎ! 街全体が夕焼けでオレンジ色になってるとき!」
 それもアリガチっていえばアリガチ。どうやら委員長は定石どおりに物事を進めるのが好きらしい。

 ここで西沢の朗読がぴたっと止まった。どうした? 
 見上げると西沢は、夕飯はハンバーグよと教えてもらった小学生のようなキラキラした目で、原稿の束を睨みつけていた。心なしか呼吸が荒い。それに加えて顔が紅潮しているような気がする。

「そ、そして付き合って三ヶ月目、その日は私の部屋で試験勉強。その日はパパは出張、ママは友達と温泉、弟は合宿で家には誰もいない。そして、そのことは吉村くんにさりげなく伝えてある。
 最初は大人しく勉強していた吉村くん、心なしか私をチラチラみる回数が、いつもより多い。
『どうしたの? 吉村くん?』
『に、西沢さん。お、俺、もうガマンできないよ』
『が、ガマンできないって、一体何が?』
『西沢さん!』
『きゃっ!』
 ここで私はベッドに押し倒されるの」
 ここから先は、もはや聞くに堪えない妄想と妄言の連続だった。
 読んでいる当の本人の西沢も、何かのスイッチが入ってしまったのか、鼻息はまるで闘牛のように荒くなっている。それに加えて、目は徹夜明けのマンガ家みたいに血走ってきている、手に力が入り過ぎているのか、原稿がミシミシ悲鳴を上げている。
「吉村くんは、私の躰をベッドに優しく横たえ、こう囁くの。
『俺、ずっとずっと西沢さんとこうしたかったんだ……』
『私もよ、吉村くん』
『西沢さん……愛してるよ……』
『ん……美樹って呼んで……』
『愛してるよ、美樹……』
『私もよ、直之……』
 吉村くんは、絡ませたままの指にさらに力を入れるの。まるで、もう絶対に離さないと告げるかのように……。
 吉村くんが私の髪を撫で上げる。それだけのことなのに、私はまるで全身の力を抜かれたかのように、動けない。まるで熱に浮かされたかのように、頭がぼうっとして何も考えられない。無抵抗になった私の唇に、吉村くんの唇が重ねられ……」
 
 いったん入ってしまったスイッチは、もはや切ることができないらしい。感情のメーターはさらに上がっていき、針を振り切らんばかりだ。
 あまりの熱の入りように、西沢の目が軽く潤んできていて、さっきまで白かった頬が、今やゆでダコのように真っ赤だ。身体が熱くなってきたのか、西沢はネクタイをとって、ブラウスの第一ボタンを外した。そのせいで鎖骨があらわになった。少し興奮した。

 西沢の熱弁はまだまだ続く。

「『き、今日はこんなところでするの?』
『うん。駄目?』
『駄目じゃないけど……』
『じゃあ決まり』
 言い終わるが早いか、吉村くんは私の腰に手を回し、ぐいっと引き寄せた。
『あ』」

「『今日の浴衣、直之のために着てきたんだよ』
『凄くキレイだよ』
『でしょ? これ選ぶのに二時間かけたんだよ』
『ううん。浴衣もそうだけど、美樹もキレイだよ』
『えっ……』
『キレイだよ、美樹』
『ナオくん……』
『美樹……』
 そうして私と吉村くんはお互いの顔を近づけ……」

 それからも約一時間、甲羅に引っ込んだ亀のような姿勢のまま、俺は西沢の朗読、および独白を延々と聞かされ続けた。
 その内容は西沢が自分と吉村が付き合ったら、いかにみだらで爛れた行為をしたいかを赤裸々に書きつづったものであった。
 できればその内容を詳しく述べたいのではあるが、それをしたら何らかの法律にひっかかってしまいそうなのでやめておく。
 一体何の因果で、俺はこんなものを聞いているのだろうか? 

 西沢美樹、俺はこの女に間違った評価をしていたようだ。
 この女は狂ってる。
 自分に言い寄ってくる男のキ○タマを蹴り上げ、自作のエロ小説を延々と読み聞かせるようなヤツだとは思わなかった。
 
 しかし、不思議と西沢のことは嫌いにはなっていなかった。
 たしかに驚きはしたものの、嫌悪感を抱くまでには至っていない。むしろ、さらに好きになっていそうな自分がいた。
 なぜだろうか、それは表面上からは分からない、西沢という人間の本質に触れたからであろうか。
 西沢は確かに変わっているかもしれない。しかし、ヤツが吉村が好きだということだけは伝わってきた。

 そうこうしているうちに、西沢の朗読が終わったようだった。
 まるでフルマラソンを走り終えたランナーのように、肩で息をしている。頬に走る一すじの汗、それが妙に艶めかしい。

「私がどれほど吉村くんを愛しているか、分かってくれたかしら?」
 そう言って西沢は非常に艶っぽい目で俺を見る。背中に氷を滑らせたかのようにゾクリとした。

「そうよ、私は吉村くんを愛してるの。彼の手に触れたい。彼の腕に抱かれたい。彼の指で髪を撫でてほしい。彼の瞳に映りたい。彼の声で名前を呼んでほしい……」
 そう言って西沢は悶えるようにして身をよじった。
「そうよ……私は、吉村くんの……遺伝子がほしいの……」
 
 衝撃。
 まさに全身を雷に討たれたかのような衝撃だった。
 そうか、これが俺と西沢の違いか。俺はただ単に女の子と遊びたいだけ、そしてあわよくばヤリたいだけの浅い人間だったのだ。
 しかし、西沢は違う。こいつが吉村を想う気持ちは本物だ。ただイケメンだとか、スポーツができるとか、話が面白いとかそんな単純な動機じゃあない。

 ま、負けた。
 なぜだかは分からないが、俺は圧倒的な敗北感に襲われた。
 西沢が吉村を想う気持ちに負けてしまったからか。それとも西沢に好意を寄せられている吉村のことを嫉妬しているのか。どちから片方かもしれないし、両方かもしれない。
 さっき股間を蹴り上げられてから、俺はずっと床にうずくまったままだ。端から見たら、俺が土下座をしているように見えるかもしれない。

 西の空に沈もうとする太陽が、教室をオレンジ色に染める。
 机もイスも黒板も教卓も床も扉も俺も西沢も、橙に塗られてゆく。その神々しい光の中、西沢はウットリとした表情を浮かべている。

 黄金色に輝く教室、その真ん中で恍惚の表情を浮かべて立ち尽くす西沢。その足元でひれ伏す俺。罪人が自分の犯した罪におそれおののき、天使に許しを乞う場面にも見えたことだろう。今現在のこのシーンは、おそらく宗教画のような荘厳さを醸し出しているのではないだろうか。

「と、いう訳でぇ」
 と、言うと西沢はにんまりと笑った。
「私は木下くんとは付き合えませーん。ごめんね!」
 委員長は軽く敬礼のポーズをとると、リュックを手に取り、足早に教室を出ていった。

 後には、ぽつんと俺が残されているだけだった。
 大分、全身の痛みも引いてきたので、俺はなんとか立ち上がることができた。手近な席に腰掛け、俺は考える。
 このまま西沢を諦めていいのか!? 
 あの女は変態だ。それも超がつくほどの。
 しかし、俺はそのことで俺はあいつが嫌になったか!? そんなことはない。西沢のあの性格を受け入れても構わないと思う俺がいる。

 でも、俺には西沢ほどの覚悟はない。あそこまで真剣に相手のことを考えることはできないだろう。

 だったら西沢のことは諦めるか? 
 ノーだ。
 でも今のままでは西沢に振り向いてはもらえないぞ。だったら自分が変わればいい。
 そうだ、俺は変わるんだ。
 もう今までみたいなチャラいヤツじゃ駄目だ。
 よし、俺は決めた。西沢に好かれるような男になる。

 そう決めたら、善は急げだ。
 自分は変わる決心をしたなら、そのことを西沢に伝えないと。俺は変わってみせる、と。

 俺は、すぐさま廊下に飛び出した。西沢はどこに行った? 
 あいつは帰宅部だから、多分そのまま帰るつもりだろう。俺は校門に向かって駆けだした。
 焦るあまり、途中の階段で豪快にこける。コンクリートの床に顔面から突っ込む。たまたま通りかかった女子生徒が困惑顔で「大丈夫ですか?」
 と声をかけてくれる。それに「大丈夫、大丈夫」と答えて、また走り出す。鼻から血が出てるのに気がついたが、今はそれどころではない。

 校舎の外に出た俺は、一直線に校門に向かう。
 途中、ランニング中の運動部にぶつかりそうになりながら、全力でダッシュする。
 西沢を探す。そして……いた! 
 後ろ姿でわかった。細い体に小さな肩、その上で揺れる黒髪のセミロング。間違いない、さっき俺に自作の官能小説を読んでくださった委員長だ。

 校門の周りには、他の生徒も結構いたが、そんなの関係ねぇ。
「西沢ーーーーーッ!!!」
 膝をがくがくいわせながら、俺は声の限り叫んだ。
 久しぶりに全力疾走したものだから、息切れしてしまった。体力が結構落ちてるな。
 西沢はくるりと振り返って、きょとんとした眼で俺を見る。
 校門の近くにいた運動部の連中やら、下校中の奴らやらが、何事かという目でこっちを見ている。

「アレって二年の木下先輩じゃねぇの?」
「イケメンで有名な? マジで? 鼻血出てんじゃん」
「やだぁ、木下くん汚ったなーい」
「ちょっとゲンメツしちゃったかもー」
 そんな声が耳に入ってきたが、今は関係ねぇ」 

「西沢ッ! 聞いてくれ!」
 俺の声に西沢がこっちを見据える。
 俺は大きく息を吸い込み、十秒かけて吐き出した。そうしてから、腹の底から叫んだ。
「お、俺は! お前と! 変わって見せる! お前に振り向いて盛られるようないい男になりたい! いや、なる! 絶対になる! だって! だってよぉ!」
 俺はそこで一旦言葉を切り、大きく肺をふくらませた。
「だって俺は! お前とエッチしてぇんだーーーーー!」
 その場の時間が止まった。
 言われた当の本人の西沢は、一時停止ボタンを押されたかのように、その場で凍り付いている。

 周りにいる女子全員が、汚いものを見るような目で俺を見る。近くにいた陸上部の女子部員が、隣の女子になにやら耳打ちしている。
 男連中は、見てはいけないものを見たような、気まずそうな表情をしている。

 西沢は……下を向いて震えていた。怒っているのか? そりゃそうかもしれない、こんな公衆の面前で、『エッチしたい』なんて言われたのだ、それこそキン○マを蹴り上げてやりたいほど怒っているに決まっている……はずだったのだが。

「ぷッ」
 西沢がひょっとこのような顔で吹き出した。
 それから、
「アッハハハハ!」
 何かが壊れたかのように笑い出した。
「ハハハハハッ!」
 まさに爆笑だった。
 それからどれくらい笑い続けていたのだろうか。
 笑い疲れたのか、西沢は眼鏡をとって、ハンカチで目を拭った。
 それから、周囲の困惑と不審と興味の視線を受けながら、俺に向かって叫んだ。
「このバーーーーーーカ!!」
 その顔には爽快な、ヒマワリのような笑顔が浮かんでいた。