9月7日(金)⑫ 体育倉庫からの脱出
窓を開け、外を見渡す。暗い倉庫の中にいたせいか、陽の光が目に眩しい。目の前にはグラウンドが広がっている。周りに設置された模擬店もそのままだ。
手を伸ばして雨どいを掴む。
窓から身を乗り出す。窓のへりと腰がこすれて痛い。しかし、今はそんなことに泣き言を言っている場合ではない。雨どいと壁の接合部分に足をかける。
その体勢のまま、右手でリュックを引きずり出し、弓を背中にかける。
上ろうと手足を動かすと、その度にプラスティック製の雨どいはガクガク揺れる。随分と頼りない。私が体重をかけたら倒れないだろうか。
もちろん、雨どいの本来の目的は、雨水を地上に排出することだ。人間が上ることは想定されていない。だから私のこのような文句は、言いがかりも甚だしいのかもしれないが。
とにかく私は雨どいをハシゴ代わりにして上る。もちろん下は見ないようにしていた。
屋根のへりに手をかける。体育倉庫の屋根は、建物よりもへりが広くなっていた。いわゆる鼠返しというやつだ。それでも屋根の出っ張りに指を引っかけ、なんとか体を持ち上げる。接合部分の金具に左足を引っかけ、右足を持ち上げて、屋根の突起部に引っかける。
それから何秒か格闘した末に、私はなんとか倉庫の屋上にたどり着いた。大の字に寝ころぶ。太陽が目に眩しい。
窓から屋根に上るというのは結構な重労働だったようで、息が荒くなった。
呼吸を整えながら周りを見渡す。山鰐はどこに行った? 結界があるから学校の敷地の外に出ることはできない。まだ私のことを狙っているのなら、そんなに遠くには行っていないはずだ。
首を回して三六〇度を見てみるが、それらしい影は見えない。まさか結界に綻びがあって、そこから逃げたとか……? 胸に黒い霧が立ちこめるような感覚が私を襲った。
「ナナミさん!」
清冽な声が私の耳に届いた。
声の音源を目で追った私の視界に、あるものが映った。それを見た瞬間、私は膝から力が抜けそうになった。
「二人とも……無事だったのね……」
西校舎の入り口。そこに見覚えのある顔が立っていた。
人形のように端正な顔立ちと、雪のような白い肌。肩まで届く黒い髪。
整った細面には、凶悪なサメとの戦いのせいだろう、泥がついている。履いているジーンズも所々が破れ、雪のような柔肌には血が滲んでいる。
その白皙の少女に、肩を支えられるように立っている人影があった。
横の美少女よりは頭ひとつ分は高い。男子に間違えそうなくらいの短髪。ジャージの上からでも無駄な筋肉がついていないことが分かる、均整のとれた肢体。
「ジュン……チカゲちゃん……」
今回の山鰐退治において、私の強力な助っ人たち。山鰐との戦いにおいて、行方不明となっていた二人が、そこに立っていたのだ。
「おーいナナミン。元気してっかぁ?」
もっともチカゲちゃんはさっき、端末越しではあるが会話をしていたのである程度の安否は分かっていた。それに加えて、ジュンも無事だったことには安堵せずにはいられない。
「もしかしてアタシが死んだとか思ってなかったか?」
いたずらっぽくジュンが笑う。
二人が無事だったというのは吉報だった。
それはそれで喜ばしいことなのだが、今私が置かれている状況は改善されてはいない。
山鰐は一体どこに行った? 見失ってしまった? 焦りばかりが募ってゆく。
そのときだった。
「グラウンドの東の端です!」
鋭い声が耳に入ってきた。チカゲちゃんがある方角を指さしている。
「山鰐はグラウンドの東、丁度サッカーゴールの当たりにいます!」
彼女のその言葉を裏付けるように、チカゲちゃんが言った当たりの地面から土煙が吹き出した。まるで鯨の潮吹きだった。間違いない。山鰐はあの潮吹きの当たりにいるのだ。
「ナナミさん! さっきの通信機はありますか!?」
通信機? チカゲちゃんのリュックに入っていたあの端末だろうか。確かリュックと一緒に持ってきたはずだけれど。急いでチカゲちゃんのカバンの中を探す。
「これのこと?」
おなじみの黒い立方体をかざす。
「それの赤いボタンを押して、メニューを出してください!」