9月5日(水)① 旧校舎への潜入
『地下室に食糧があるらしい。取ってくる』
サスペンス映画でよく聞かれる台詞だ。
この台詞を発した人間は、近いうちに死体になって発見されることになるというのは、お約束だ。
この手の映画を観ているときに、私がいつも不思議に思うことがある。なぜ登場人物たちは、自分から危険に飛び込もうとするのだろうか?
明日の朝には警察が来るのだから、お腹が減るくらい我慢すればいいのに。ポテチをつまみながら私は心の中で、何度そう突っ込んだだろうか。
まぁ、それで本当に部屋の中に引篭られたら、話が転がらないだろうけれど。私は今まで、映画のそういうシーンをもどかしい気持ちで観ていた。
しかし、今日始めて、殺人鬼のうろつくペンションで、わずかな食糧のために一人で地下室に向かう主人公の気持ちが分かる気がした。
――これ以上首を突っ込まない方がいい――
あの黒髪の少女は確かにそう言った。でもそれで引き下がるほど、私は物分りが良くない。一体アカリの身に何があったのか? 私はそれが知りたい。
私は文化祭実行委員長で、自分の仲間に何があったのか、知る権利と義務があると思う。
そして、何より、アカリは私の大事な友達だ。友人の身に何があったのか原因を知りたいと思うのは、自然な考えではないだろうか。
そして、九月五日の放課後、つまりたった今、私はアカリが倒れた原因を調べるため、旧校舎に来ている。以前にここに来たのは入学してすぐのころに肝試しに来たときだから、かれこれ一年以上前だ。もっとも肝試しといっても、真昼間にアカリも含めた三人ほどで来ただけの話だけど。
明治時代に建てられたという木造建築の校舎は、全体的に黒く変色しており、植物のツタが縦横に巻き付いている。埃で真っ白になった窓ガラスは、ところどころ割れている。幽霊が出るという噂を聞いたことがあるが、あながち嘘じゃないのかもしれない。
こうやって外から見ると、ホラー映画で殺人鬼の待つ洋館にたどり着いたカップルの気持ちが分かる気がする。
しかし…………相変わらず気味が悪い。他と比べて温度が低いように感じる。私は自然と身震いした。さっさと調べるものを調べて、退散するとしよう。
でも……調べるといっても何を調べればいいのか困ってしまう。アカリが倒れた、という事実だけでここに来てしまったが、具体的に何をするのかを全然考えてなかったことに改めて気付く。
改めて周囲を見渡す。
鬱蒼と茂った林は、いかにもといった感じだ。打ち捨てられた廃墟、過去の遺物。しかし、こんな場所でも、かつては多くの先輩たちが学び、笑い、泣いていたのかと思うと、ただ単に怖がるのも、悪いような気がしてくる。そう、ここでは私と同じ年齢の少年少女達が私と同じように悩み、そして、巣立って行ったのだ。
不意に、私の背後の茂みがガサッと音を立てた。
何なのッ? 光の速さで振り向いた私の視界に入ってきたのは――一匹の猫だった。三角の耳に大きな目、そして、茶と黒のぶち模様。突然の来客は、私を不思議なものを見るような目で一瞥した後、ニャアと鳴いた。
か……可愛い。その時の私の顔はどんな表情だったのだろうか。よっぽどだらしのない、プラス締まりのない顔をしていたのではないかと推測する。あぁ、やっぱり猫って可愛い……この可愛さは犯罪だわ……。
その珍客は、後ろ足で耳の裏をガシガシ掻いた後、退屈そうにくわぁと欠伸をした。
……何か餌になるものは持ってなかったかしら。私はスカートと、ブレザーのポケットの中をまさぐったが、オレンジ味の飴玉一個しか出てこなかった。さすがに猫に飴をあげるわけにはいかない。
そうこうしている内に、猫は私に背を向けると、道の向こうに去って行ってしまった。
あぁ、もっと遊びたかったのに……。
おっといけない、私は一体ここに何しに来たのだろうか。友人が倒れた秘密を探りに来たのではないか。こんな悠長なことをしている暇は無いはずだ。
そう気を取り直した瞬間、またもや私の背後の茂みが、ガサガサと音を立てた。もしかして、もう一匹猫がいたのか。もしや学校の敷地内に結構な数の猫が入り込んでいるのか。だとしたらこれは由々しき問題だ。どこかフェンスに穴が開いているのかもしれない。
私は確かに猫好きだ。しかし、それとこれとは話が別だ。学校内に何か問題が発生しようとしているのを見過ごすわけにはいかない。
そう思って、後ろの茂みに目を凝らす。
このとき、私はさっきと同じような猫が姿を表すものだとばかり考えていた。しかし、次に視界に入ってきた光景に、私は思わずわが目を疑った。
藪の中から、灰色の細長い物体が、にゅるんと姿を表したのだ。
背中の特徴的な背びれ、尖った鼻先、口元にぞろりと並ぶ歯。
それは紛れもないサメだった。