ゆーべの創作ブログ

マンガ、アニメ、ラノベ、その他創作についての徒然日記でやんす

やくび!

 ――何か布団が重いな――

 半分夢心地の中にいた僕はそう思った。昨日の夜、布団を二枚かけたっけ?

 夢の中で一瞬考え込んだ後、こう結論づけた、

二度寝しよう」

 

 今日は藤枝さんと北出町まで行くんだ、今のうちに英気を養っておかないと。はぁー、今年の四月に藤枝ミユキさんと知り合って早、四ヶ月、やっとこさ二人きりで遊びに行く関係になれたんだ。今日は映画観て、アウトレットの店に寄って、マックに行ってと忙しいんだ、早く寝ないと身体がもたないよ。僕は手元の布団に手を伸ばした、筈だった。

 ムニュッ、という明らかに布団とは違う感触、何か大きめのマシュマロを掴んだような……例えるならそんなカンジ。

 すると、一瞬遅れて、

「ひゃっ!」

 という甲高い声が聞こえた。

 泥棒か!? 僕は腹筋に目一杯の力を込めて跳ね起きた。その拍子に僕にのしかかっていた影は、まるでシーソーから投げ出されたかのように床に投げ出された。

 僕は枕元にあったサッカー雑誌を手に取ると、それを丸めて剣道のように構えた。

 マンガ本しかない本棚、二十インチのテレビ、その下のプレステ4と、視線を這わせてゆく。

 しかし、次に僕がベッドの上から見たのは全く予想だにしない光景だった。

 小さな女の子が頭を抱えてうずくまっている。年の頃は十一、二歳といったところだろう。大きな目に涙を一杯ためて、恨めしそうに僕を見上げている。

「一体どうしたの?」

 僕は眼下の少女に聞いた。泥棒に入られたかもしれないという考えなど、とっくに消えていた。

「頭を打ったのです……」

 鼻をズズッと啜りながら女の子は答えた。どうやら先程、僕が飛び起きたせいで彼女を突き飛ばす格好になり、その結果、床に頭をぶつけたらしい。

 自業自得じゃないか。一瞬僕はそう思った。

 が、今現在、自分が置かれている状況を冷静に検討してみる。

 高校生男子の自室で、高校生男子の目の前で涙目で震える小学生(多分)の女の子。

 どう見ても変態さんとその小さなお友達の図だ。

 ……マズイ。もしこの娘が誘拐された資産家の娘で、今この部屋に警官が乗り込んできたら、何て思われるだろうか。間違いなく僕の手に手錠がかけられる事態に陥るのではないか。そしてどうなる? 裁判→有罪→少年刑務所→学校は退学→人生終了。

 オイ、待て。

 これは非常にまずい。取りあえず、第三者の誤解を招くような状態だけは除去しておかないと。

 僕はベッドから降りると、女の子の横に腰を降ろした。

 言っとくけど決してイカガワシイ目的はないぞ。

「大丈夫か? 悪かったよ、ほーら痛いの痛いの飛んでけー」

 僕は子供だましのまじないを唱えながら、彼女の頭を撫でた。

 すると女の子はニッコリと笑いながら「有難うなのです。打ったといっても軽くなのでもう大丈夫です」と少女は答えた。

 そうか、良かった。僕はふぅと息をついた。

 ここで僕は彼女を見た。

 漆黒の髪は艶やかで、背中の辺りまで伸びている。色白の顔の真ん中にはくっきりとした鼻梁がとおり、その脇の大きな目がクリクリと動いている。僕の勝手な予想なのだが、成長したらかなりの美人になるのではないか。こりゃあ、今のうちに……ってそれは犯罪だよ僕。

 しかし、顔は将来性豊かなんだけど……。

 僕の目を引いたのは少女の服装だった。

 彼女は黄色い浴衣に身を包んでいた。のだが、それの袖口や襟にほつれが多く見られた。また、ろくに洗濯していないのか、黄ばんでいる箇所がある。よくよく目を凝らしてみると、所々に布を継ぎあてた跡が見られた。これでは時代劇に出てくる貧しい農村の娘だ。

「ねぇ君、一体どこから来たの? お母さんやお父さんは?」

 僕は思い切って聞いてみた。

「あぅっ! そうです思い出したのです!」

 女の子は急に弾かれたように立ち上がった。

「実はボクはこういうものなのです!」

 そう言って少女は浴衣の袖口から名刺入れ(!)を取り出すと、その中から一枚取り出して、僕に差し出した。

 受け取った名詞には、えらく達筆な字でこう書いてあった。

 

 疫病神

  有栖川カイナ(ありすがわ かいな)

 

「今日一日、ボクはご主人様に取り憑かせていただくのです!」

 これが僕の十六年の人生の中で、最悪といっていい一日の始まりだった。

 

「ボクに取り憑かれた以上、今日一日いろんな災難がご主人様を襲うのです。可哀想ですが、それが疫病神に付かれた者のさだめなのです。 残念ですが、犬に噛まれたと思って諦めて下さいなのです」

 有栖川カイナは、まな板のような胸を張って、僕にそう宣言した。

 突然そんな事を言われて信じるとでも思っているのだろうか、馬鹿馬鹿しい。

 大方どこかの家の子が親とケンカか何かした挙げ句、たまたま僕の部屋に迷い込んだに違いない(二階の、しかも戸締まりのしてある部屋にどうやって忍び込んだのかという疑問はさておく)。

 これから僕がすべきことはただひとつ、警察なり何なり、然るべき機関にこの子の保護をお願いすることだ。

 自分で迷子をどうこうするなんて、一介の高校生である僕には荷が重過ぎる。

 さて、今後の方針も決まったことだし、昨日の夜録画しておいた深夜アニメでも観るかな。

 僕はリモコンを手に取ると、ボタンを操作した。

 ……あれ? 無い、無いぞ?? 僕が毎週欠かさず観ている『超兵器ゲッターゲリオン』のデータが無い。

 その後、僕はHDDの隅から隅までくまなく探したもののゲッターゲリオンのゲの字も見つけられなかった。どうやら録画できていなかったらしい。 前に酒井(小学校からの腐れ縁)がドラマの録画失敗したことがあったけれど、まさか自分の身にこんな事が起こるとは……。

 この時、僕はふと思った。もしかしてこの録画ミスは自称疫病神の少女、カイナのせいではないか? 

 確か疫病神って人に不幸をもたらすんだよな。もしかして、その影響がすでに? 

 はっ、まさか馬鹿馬鹿しい。そうだ、顔でも洗って目を覚ましてこよう。

 そう思い立った僕は、ドアに近づいていって…………右足の小指をタンスの角に勢いよくぶつけた。ガツン、なんとも生々しくて嫌な音が耳に入って来る。

「い、痛てぇーーー!」

 右足が小指を中心に裂けたのではないかと思うくらいに痛い。僕はもんどり打って倒れこみ、その拍子に今度は本棚の側面に頭をぶつけた。

「つぅーー」

 やばい、目から火花がでた。マジ半泣きだよ。

 そこへトドメとばかりに、本棚の一番高いところに収納していた六法全書(重さ三キロ)が落下、僕のミゾオチを直撃した。

 足、頭、内臓、僅か五秒の間に三ヶ所も致命的なダメージを受け、さすがの僕も悶絶した。ヤベェ……マジ泣きそう。

 こんな偶然ありえるか? 僕はこの部屋に十年以上も住んでるけど、こんなに不幸な偶然が重なったことなんて今までなかったぞ。

 僕が床に転がって身悶えていると、

「だから言ったじゃないですか、災難がご主人様に降りかかりますって」

 舌足らずな声が上から降ってきた。

 おいおい、マジであの子は疫病神なのか? 目に溜まった涙を拭いながら顔を上げた僕の視界に入ってきたのは……信じられない光景だった。

「だってボクは」

 寝転がった姿勢のまま、まるで波間を漂うクラゲのように空中に浮かんでいる有栖川カイナの姿だった。

 彼女は読んでいたマンガ本から目を離すと、僕をじっと見た。幼い姿からは想像も出来ないくらいな妖艶さだった。背伸びをした小学生のようなイタさは微塵もない。ふふんと勝ち誇るように僕を見る目には、流石に幼さが残るが、その瞳の奥には何ともいえない妖しい光があった。

 そして僕に、宣言するように言った。

「ボクは疫病神なのですよ」

 

 それからおよそ一時間後、僕は北出町へ行くため、駅への道をそぞろ歩いていた。北出町というのは、僕の住んでる市の中心地で、映画館があったり、ショッピングモールがあったりで、この近辺で遊ぶとなったら真っ先に思い浮かぶ場所だ。今日は僕のクラスの一番の美人、藤枝ミユキさんとデートなんだ。

「ご主人様、顔がニヤけてますよ?」

 えーい、うるさい。これが笑わずにいられるか。

 藤枝ミユキ、身長百五十六センチ(推定)。ボブカットにげっ歯類を思わせる目。胸は小さめ。女子バスケットボール部所属、得意科目は英語・現代文。好物はチョコレート菓子のホッキー。好きな俳優はリアヌ・キーブス。

 僕がこの四ヶ月間、懸命に集めた藤枝さんのデータだ。キモい? ふん、余計なお世話だ。

 最初は遠目に見てるだけだった。しかし、最初は挨拶から始まって、何とか勇気を振り絞って僕から話しかけ、それから一言、二言話すようになり、藤枝さんの好きな俳優を聞き出した。それから、その俳優の出てる映画のDVDを借りてきて、共通の話題を何とか作った。

 そして、三日前、今度の日曜に、その俳優の新作映画を観に行こうと約束を取り付けたのだ。

 んー、僕としては何としてもこの機会に藤枝さんとお近づきになりたい。そして、今日だけじゃない、是非今後とも……。

 しかし、それには大きな壁がある。

 僕の後ろでは、その障害がまるで気球のようにフワフワと浮かんでいる。ヤツは途中のコンビニで買ってやったカレーパンを美味しそうに頬張っている。

 ヒマワリの種を齧るリスのような仕草を見てると、どう考えても小学生女子にしか見えない。

 ちなみに起きてから家を出るまでにも一騒動あった。一階に降りようとしたら、階段から足を踏み外し(幸いにもお尻を打っただけで済んだ)、トイレに行ったら、トイレットペーパーが切れていた。挙句の果てには、僕の自慢のマウンテンバイクがパンクしていた。恐るべし疫病神パワー。

 そういえばコイツに聞きたいことがあったんだ。

「なぁ、何でお前は僕に取り憑いたんだ?」

「修行のためなのです」

「修行?」

 小さな女の子に似つかわしくない台詞に、声が上ずってしまった。

「そうなのです僕達、疫病神は生まれてから五十年くらいで修業に出されるのです、その修業を通じて神の何たるかを学んでいくのです」

 へ~神様っていうのもナカナカに厳しい世界なんだな~って五十年!? 一体お前いくつなんだよ!?

「うふ、れでぃに歳を聞くのはマナー違反なのです」

 い・い・か・ら・こ・た・え・ろ~。

 拳で黒髪の疫病神のこめかみをグリグリとこすりあげる。

「痛いのです! 分かりました答えるのです!」

 こめかみをさすりながら幼女姿の神様は言う。

「百二十一歳なのです」

 それを聞いた瞬間、僕は思わず、吹き出した。

 え!? お前、僕の祖父ちゃんより年上なの!? にわかには信じられない事実だった。僕の頭の上で美味しそうにカレーパンを頬張る幼女、それがまさか明治の頃から生きていらっしゃるとは……。パンに齧りついているその姿は、どう見ても年相応の小学生にしか見えない。

 精神的にどれだけ成熟しているかは、生きている年数に関わりないっていうことだな。

 話しを本線にもどす。

「さっきお前は『ボク達疫病神は』って言ったよな? って事は疫病神っていうのは何人もいるのか?」

 もしこんなのが何人もいるって事になったら、えらいことだ。だって僕と同じように、謂れのない災難に遭っている人が何人もいるって事なんだから。

「はい、そうです」

 あっさりと肯定する幼女の神。

「ちなみに神様を数える単位は『柱』なのですよ」

「大体何人くらいいるんだ?」

「柱だって言ってるのに……。ん~ボクも詳しい数は分かりませんが、少なくとも千柱はいる筈なのです」

 千人……いや千柱か。それと同じ数の人間に災いが降りかかってるなんて、やりきれない気分になってくるな……。

 それで、修業してどうするんだよ。

「神としての更なる高みに行くためなのです」

 高み?

「そうなのです。ボク等神はこの世の森羅万象、総ての構成要素、一にして全なる存在なのです、その真理は――」

「分かったもういい」

 そんな難しい話しをされてもこっちは困る、何しろ脳に搭載されてるCPUは三世代は前のシロモノなんだから。

 ようするにもっと出世するために修行するって事だな。まぁ理由は分かったけど、人間側には何のメリットもないな。

「そんなこともないですよ、キチンとご主人様の利益にもなりますよ」

 え?

「確かにボク達疫病神は、人間に災いを運ぶのです、しかし、その災いは人に成長をもたらすために訪れると考えられているのです」

 成るほどね、災い転じて福となすじゃないけれど、その災厄を乗り越えることで人間に成長を促しているってワケか。よくできてるもんだな。

 しかし、疫病神自身で災いを呼んでおきながら、成長を願うって、マッチポンプというか、自家撞着な気がするが……。

 そんなやり取りをしているうちに、中岡駅に着いた。

 僕は切符売り場に行くと、目的地までの切符を買った。行き先の北出町までは二百十円だった。以前までは二百円だったのが、消費税アップのため、十円高くなった。

 橋上通路の向こうに、離れ小島の様にプラットホームが一面とられている。

 僕は改札に切符を通すと、旅行会社の宣伝ポスターが張りまくられた階段を上り、反対側のホームへ向かう。

 そういえば、カイナの分の切符を買ってない。まぁいいか、神様なんだし。当の本人は、カニ鍋の描かれたポスターの前で、ヨダレを垂らしている、汚いな。「置いていくぞ」と声をかけたら、大慌てで付いてくる、いや憑いてくると言ったほうが正しいか。未練がましくポスターに視線をやっているいるので、

カニ鍋食べたいのか?」

 と、聞いたら「別になのです」と答えて、ぷいと向こうを向いた。

 僕が丁度階段を降りきったとき、目的の電車がやってきた。

『次に二番乗り場に、北出町行き列車が参ります。危険ですので白線の内側までお下がりください』

 アナウンスが終わって暫くすると、線路の向こうから電車がやってきた。駅に入ってくる線路は、手前で大きくカーブしているらしい。住宅街のど真ん中を突っ切っているようで、ここから見ていると、まるで電車が家々の隙間をぬってこちらに向かってくるように見える。

 平日の昼間らしく、ホームには余り人影が見えない。緑色をベースとした大きな車体が、ギギギというブレーキ音とともに滑り込んでくる。

『中岡町ー、中岡町でございます』

 客が降りきったのを確認して、僕も電車に乗る。

 丁度四人掛けの席が、丸々空いていたので、そこに座る。僕が窓際の席に座ると、カイナは僕の正面の席に腰を降ろした。外の風景を、まるで遠足に向かう幼稚園児のような表情で見ている。

「見ていて楽しいか?」

 カイナに聞く。カイナの姿は僕以外の人間には見えてない。だからかなり声を抑えて聞いている。

「はい、なのです。こういった人間の乗り物に乗る機会は滅多にあるものではないのです。楽しめる時に楽しむのがボクのやり方なのです」

「そういえばさ、お前に聞きたい事があったんだよ」

「何ですか?」

「もしもだよ? 次の駅で僕がお前を置き去りにして逃げるとするじゃん? そしたら僕に災難は来なくなるのか?」

「ご主人様、酷いこと考えてますね。根性腐ってるのです」

 カイナは頬っぺたを餅のように膨らませる。

「もしもだって言ったじゃん」

「仮定の話でも酷いです」

「で、どうなんだよ」

「結論から言うと無理なのです」

「えっそうなの」

「確かに物理的にはボクからは逃げられるかもしれません、しかし『疫病神に憑かれた者』という属性からは逃げることはできません」

「どういう事だ?」

 カイナは占い師のように、僕の方をまじまじと見ながら言う。

「例えばご主人様は今現在、高校生なのです。しかしあと二年後には卒業して高校生ではなくなるのです」

「うんうん」

「しかし、ご主人様は佐々木ヒロトという個人を止めることは出来ないのです。文字通り死ぬまで」

「だよね」

「『疫病神に憑かれた者』という属性はそれと同じ、逃れることの出来ぬ事象なのです。まさに運命に組み込まれた事と同じ意味を持つのですよ」

 うぅ、そうなんだ。やっぱり逃げられないんだな。折角のデートなのに……。

「まぁ、ぽじてぃぶに考えるのですよ、ご主人様。疫病神に憑かれるなんて滅多にあることではないのです。今日だけは運が悪かったと思って諦めるのです」

 ケラケラと笑う幼女。言っとくがお前に言われたくないぞ。僕が今日一日ツイてないのはお前のせいなんじゃないか。

 そうこうしている内に、次の駅まで着いたらしい。電車が停まって、客の乗り降りが終わり、発車するかと思ったとき、くぐもった男の声で車内アナウンスが流れた。

『お急ぎのところ、大変畏れ入ります』

 何だろう? 僕達以外の乗客も、天井のスピーカーに目をやっている。

 アナウンスの内容はこうだ。線路設備の電気機器に異常が発生した。その点検と補修のため、これからしばらくの間、運行を停止する。ちなみに再開の時間は不明との事だ。

 ……マジかよ。腕時計に目をやると現在九時半。待ち合わせは十時だ。ここから北出町まで行くとなったらバスしかない。しかし、電車で行くよりも時間がかかる。三十分なら結構ぎりぎりだ。電車なら余裕で着くのに、くそっ。

 イヤミの意味を込めて、横に座っている幼女を見る。僕の意図を察してか、あらぬ方向を向いて、口笛を口ずさんでいる。『ボクは知らないのです』なんて顔しやがって。

 取りあえず、藤枝さんに遅れる事を伝えて謝らないと。

 僕は肩にかけたショルダーバッグから、スマートホンを取り出した。そして、藤枝さんの番号を呼び出そうとして、僕は思わず目を細めた。何回タップしても、画面がウンともスンともいわない。どれだけ電源ボタンを長押ししても画面は闇夜のように真っ暗なままだ。

 まさか故障? おいおい勘弁してくれよ、なんでこんな大事なときに限って壊れるんだよ。

 もしかして、電車が停まったのも、スマホが壊れたのも全部カイナの影響か? だとしたら迷惑すぎるぞ。何という恐ろしさか。僕は改めて疫病神の力に戦慄した。

 取りあえずぼぅっとしていても仕方がない。再開のメドが立たないんだから、電車以外の方法で行かないと。

 電車の外に出ると、まるでビーム光線のような熱波が僕を襲ってきた。さすが真夏だ。とたんに汗が吹き出てくる。シャツが肌にべっとりついて気持ち悪い。

 僕は改札をくぐると、キオスクの横を通り抜け、駅の外に出た。この駅は大通りに面していて、結構交通量が多い。手をサンバイザーの代わりにして周りを見渡す、すると道路の反対側にバス停が見えた。横断歩道を渡り、バス停の時刻表を見る。運良く五分後に北出町行きのバスが来る。これなら遅刻は五分くらいで済みそうだ。藤枝さんにはお詫びにアイスでも奢ってあげよう、これでそれほど怒られることもない筈だ……多分。疫病神に憑かれたにもかかわらず、これは幸運ではないだろうか?

 僕はバス停のすぐ近くに、自動販売機があることに気がついた。僕は財布から百円玉を二枚出すと、自販機に投入、ポカリのボタンを押した。取り出し口からボトルを取り出していると、「ご主人様」と子猫が鳴いているような声がかけられた。

「何?」

「さっきも言ったように、今日ご主人様には災難がずっとついて回るのです、悪いことは言わないです、今日はもう家に帰ってじっとしているのです」

 半分頼み込むような口調でカイナは言う。実際僕に頼んでいるのかもしれない。帯の所で拝むように手を組んでいる。

「ゴメン、それは無理」

「どうしてですか」

「折角とりつけたデートの約束だぞ、簡単にブッチできるかよ」

「でも……」

「カイナ、お前言ってること変じゃないか?」

 僕はカイナの鼻先を指で押さえる。

「な……何がですか」

 刑事ドラマで刑事に『手を上げろ』と拳銃を突きつけられた犯人の表情で僕の指先を見据えている。

「お前は疫病神だろ? 僕に災難を運ぶのが役目じゃないのか? そのお前が、今日はツイてないから家にいろって矛盾してないか?」

「た、確かにボクは人を不幸にするのが仕事です。しかし、だからと言ってむやみやたらに人が災難に遭うのを見るのは好きじゃないです、ボクは適度な災難と、適度な幸福をモットーに……」

 欲しい玩具を買ってもらえなかった幼稚園児のように、うなだれるカイナ。

「もういいよ」

「……」

「優しいんだねぇ、カイナちゃんは」

「な、何がですか!」

「そのままの意味だよ」

「べ、別にボクは人間なんか……」

 カイナが抗弁しようとしたその時だった、

 キキィーーーッという耳をつんざくようなスキール音、それに続いて、ガシャンという何かが壊れるような音が聞えてきた。

 音がしたほうを振り返って見ると、コンクリートの地面に小学生くらいの女の子が倒れている。その横には黒い原付が、まるで撃墜された戦闘機のように横倒しになっていて、その脇にはフルフェイスのヘルメットを被った男がへたり込んでいた。

 どうやら、原付がバス停横のコンビニに入ろうとした際、誤って女の子を引っ掛けてしまったらしい。

「だ、大丈夫!?」

 僕は女の子に駆け寄りながら叫んだ。

 ピンク色のワンピースを着た女の子は、足を強く打ったらしく、膝小僧の辺りを押さえている。指の間からは赤い色の液体が、蛇の様に伸びている、それはまるで女の子の足全体を侵食するかのように、ふくらはぎから足首へとゆっくりと伸びてゆく。

 ヤバイ、これは早く病院に連れて行かないと……。

 僕は自分の心臓が早鐘のように高鳴っていくのを感じた。その時だった。

「お、俺知らねぇ。こっ、この娘が勝手に飛び出してきたんだ!」

 原付のライダーらしき男はそれだけ言い残すと、まるで逃げ出すかのように(実際逃げてるんだけど)、原付に飛び乗ると、ビビビという下品なマフラー音を残して去っていった。

 おいこら! なんてヤツだ畜生。とっさに追いかけてとっ捕まえてやろうかと思ったが、今は女の子を病院に連れて行く方が優先だ。

「痛い、痛いよー」

 女の子は聞いているのが辛くなるような声を上げる。その白くて小さな膝から溢れ出た血液は、すでに足首から滴り落ちて、地面に血溜まりを形成していた。

「ご主人様! あれを!」

 カイナが僕を呼ぶ。見ると小さな疫病神は、ある物を指差していた。

『□□総合病院』

 やった、病院だ! すぐにこの娘を……。と、思ったその時。バス停に一台のバスが滑り込んできた。行き先を見ると北出町。僕の目的のバスだ。

 誰か他の人にこの娘を任せることも考えたが、生憎僕の周りには、人っ子一人いなかった。

 もし、このバスを逃したら、確実に三十分以上の遅刻だ。藤枝さんとはそこでオシマイになる可能性が高い。「怪我した娘を助けてたんだよ」、なんて弁明しても無駄だろう。明日からは口もきいてもらえない。

 藤枝さんか、見知らぬ女の子か。

 僕にこの怪我した子を助ける義務はない、悪いのはひき逃げしたバイクだ。折角のデートのチャンスを見知らぬ女の子を助けたせいでふいにしたくはない。それにもし女の子を置いていっても、この大通りだ、どこかの親切な誰かがすぐに見つけて、病院に連れて行ってくれるだろう。

 さぁ僕、すぐにバスに乗れよ。藤枝さんが待ってるぞ。さぁ……。

 そして、僕はすっくと立ち上がり……ワンピースの女の子を抱えて走り出した。

 ええい、クソッタレ。藤枝さんのことは諦めるしかないのか、トホホ……。

 途中に信号があったが、運良く青だった。病院の施設に緊急外来っていう所があることは知っていたが、どこか分からなかったので、取りあえず自動ドアをくぐり、総合受付というカウンターに駆け込んだ。

 受付にはスーツを着た若い女の人と、白衣を着た、白髪交じりの男の人が何か話していた。

 受付のお姉さんは僕の方を見て、一瞬ひっと息を呑んだ様子だったが、白髪の男の人は女の子の様子を見て、事態を察してくれたのだろう。「これは大変だ」と言うと、僕から女の子を受け取った。そして、お姫様抱っこの状態で、病院の奥へ消えていった。

 僕は何もすることがなくなったので、受付の長椅子に座った。周りには何人か人がいて、チラチラと僕の方に視線を送ってくる。なんだろうと思って自分の服を見てみると、シャツからGパンまで、血まみれだった。ちくしょう、このTシャツ高かったのに。途中にウニクロあったかな、代わりのシャツを買わないと。でもこんな格好でウニクロに入ったら通報されるかもしれない。

 どこかに時計ないかな、顔を上げて周りを見渡した。すると、総合受付の壁のところに高級そうな時計が架けてあった。時間は十時十分、完全な遅刻だ。

 連絡を取りたいが、相変わらずスマホはウンともスンともいわない。ここから、北出町まで行こうと思ったら、バスなら待ち時間を入れても三十分くらいかかる。やべぇよ、大遅刻だよ、しかも連絡なし。僕だったら四十分も待たされたら帰るかもしれない。

「これで分かったでしょう? ご主人様」

 不意に頭の上から声が聞えた。

 上を見ると、カイナが空中からにじみ出るように現われた。

「疫病神に憑かれた人間には際限なく、不幸が襲いかかってくるのです。今日は諦めて家に閉じこもっているのです」

「だから言ったろ、それは無理だって」

「どうしてですか? そんなに、その藤枝っていう娘の事が」

「それもあるけどさ」

 僕はカイナの言を遮って言う。

「不幸になります、災難に遭いますって言われてもさ、それでも行かなきゃならない時っていうのがあるんだよ。人間にはさ」

「そんなの只の意地っ張りなだけじゃないですか」

「そうかもね」

「ご主人様は馬鹿です」

「否定できないな」

「そんなにでーととやらに行きたいですか?」

「行きたいね」

「これから先、どんな災難に遭うか分からないですよ? このボクが保障してあげるのです、疫病神に憑かれた人間には際限なく不幸が訪れるのです」

「何回も聞いたぞ、それ」

「……もういいのです。ご主人様の事が分からないのです」

 そういい残すと、カイナは後ろの風景に溶け込むように消えていった。

 カイナはカイナで事情があるんだよな。人間に憑くのも修行のためって言ってたし。確かに今日一日ツイてないのはアイツのせいだろう。でも、無条件でそれを非難していいってことにはならないんだろうな。疫病神って言っても無闇やたらに人をハメようってワケではないらしいしな。

 っていうか、早く行かないと、藤枝さん待たせてるんだからさ。……もう帰ってるかもしれないけど。

 僕がベンチから立ち上がったその時、野太い声が聞えてきた。

 さっき受付にいた白髪のおじさんだ。

「おー君君、どうもご苦労さんだったねぇ」

「あの娘はどうなったんですか?」

「あぁ、安心していいよ。もう大丈夫だから。膝が裂けていたから、少しだけ縫ったからね。ちょっと派手に血が出たから驚いたみたいだね」

 白髪のおじさんは、僕の両手を掴んでブンブン振り回してくる、正直痛い。

「あの娘は君の妹さんかい?」

 あの事故に遭った子のことだろう。

「いいえ、全然知らない子です」

 僕は首を横に振る。

「そうかい、見ず知らずの他人を助けるなんて偉いねぇ、ウチの姪っ子に見習わせたいくらいだよ、ハッハッハ」

 おじさんは快活に笑う。ここで彼が、首からIDカードケースを下げていることに気づいた。それによれば、このおじさんはここの外科医らしい。関係ないけど、このおじさん、どこかビーバーに似てるな。

 でも、これであの娘の事に関しては、もう心配ないな。何しろ本職のお医者さんに大丈夫だって言ってもらったんだから。

「いえ、当然のことをしたまでですから」

 僕は真っ黒な溜息を吐きながら、そう答えた。

「急いでますので、これで」

 ここで僕は、もう一つの懸念材料、藤枝さんとのデートに向かうべく、エントランスへ歩き出そうとした。その時だった。

「先生! 大変です」

 中年の看護師が駆け寄ってくるのが見えた。

「どうしたんだね?」

 ビーバーそっくりの医師が尋ねる。

「一〇一号室の鈴木さんの手術なんですけれど、A型RHマイナスの血液がありません!」

「何だと、どうして足りないんだ!」

「それが、昨日と今日、手術が連続してあって」

「近くの病院に手当たり次第に当たって! A型RHマイナスの血液をかき集めるんだ!」

 ……これが今日の僕の運命なんだろうな。カイナの言うとおりだった、僕は今日一日家に閉じこもっているべきだったんだ。たかが人間の分際で、神の決めた運命に逆らおうとしたのが間違いだったんだ。

 今日の朝一番に、藤枝さんに伝えるべきだったんだ。今日のデートは中止しようって。理由なんてなんでもいい、急にお腹が痛くなったって言えば良かったんだ。別に来週でも良かったんじゃないか。

 いや、もう過ぎたことだ。僕ごときが藤枝さんなんていう美人と付き合おうなんて考えたのがそもそもの間違いなんだ。

 今、僕がすべきことは只一つだ。

「あのう、すいません」

 僕は恐る恐るビーバーの医師に声をかける。

「僕、A型のRHマイナスです」

 

 

 僕が病院を出たとき、もうすでに五時を回っていた。

 ――僕、A型のRHマイナスです――

 アレからが大変だった。まず、輸血するか否かの意志の確認。それから、色んな検査やらなんやらをしてから、やっと採血が始まった。そして、採血後の経過観察やらなんやらで、結局この時間までかかってしまった。

 もう、遅刻なんてもんじゃないよ、絶対帰ってるよ藤枝さん。

 僕はもう鳴きそうだった。

 夏の夕方、この日は少し肌寒かった。まるで今の僕の心境を代弁してくれているかのようだ。

 アスファルトで舗装された道路の向こうに、小さな人影が見えた。彼、または彼女は夕日を背にしているため、その表情を伺うことはできない。

「そんなところで何してんだよ」

 僕はその影に声をかけた。

 女の子は、ガラスを割った小学生のような表情で僕を見ている。

「ご主人様、申し訳ないのです……」

 今にも泣きそうな顔だ。

「いいって、お前は気にするなよ」

「え?」

「僕に不幸を運んでくるのが、お前の仕事だろ? お前は自分の職務を忠実にこなしているんだ、何も後ろめたい気持ちになる必要はないよ」

 僕は勤めて明るく聞えるように言った。正直に言えば、カイナに対して全く思うところがないと言えば嘘になる。僕だって普通の人間だ、ただの高校一年生男子だ、聖人君子ではない。

 ただ、ここでカイナに怒っても仕方がないじゃないか。カイナはカイナで修行のために僕に取り憑いている。ホームランを打たれてバッターを怒るピッチャーはいないだろう。

「ご主人様、有難うございますなのです」

 小さな疫病神の目は今にも溢れそうな程、水が溜まっている。

「それにさ、僕はある意味、お前に感謝しているんだよ」

「感謝?」

「ああ、そうさ。だってお前の持ってくる災難を乗り越えることで、僕は成長できるんだろ?」

 カイナは小さく頷く。

「自分がもっと大きな人間になれる機会を与えてもらってるんだから、感謝しこそすれ、恨んだりはしてないよ」

「ご主人様……」

 小さな目から、大粒の涙が溢れ出してくる。そして、僕にすがりつく。

 やっぱり神様といっても、こういうところはまだ子供なんだな。そして、幼い神様は僕を見上げて言う。

「ご主人様、ボク頑張るのです。頑張ってご主人様に沢山不幸を運んでくるのです。そして、一杯、いーーっぱい成長してもらうのです」

 い、いや、それは遠慮しときたいところではあるんだけど……。

 ……ん? なぁカイナ、お前、何か光ってないか?

「え? 冗談はやめてくださいなのです」

 冗談ではなかった。本当に、カイナの身体が光を発している。頭が、腕が、足が黄色い光に包まれていく。それは、この夕闇の中、僕の目にもハッキリと認識することができた。

 その光は段々と強くなり、ついにはカイナの小さな身体全てを飲み込んでゆく。もうカイナの姿は見えない。

「おい、カイナ! 大丈夫か! 聞えたら返事しろ!」

 何も聞えない。

 一体何が起きたのか、僕は何も考えられず、光球の前に佇んでいた。

 どれくらい時間が経っただろうか、一分? 五分? 

 さっきよりも光が弱まってきたように感じる。

 カイナは大丈夫か? 僕は不安になってもう一度呼ぼうかと思ったその時だった。

 急速に光が弱まり、カイナがその小さな姿を現したのだ。

「ん?」

 カイナの姿がさっきと変わっているぞ?

 背中まで伸ばしてあった髪は、見事な日本髪に結わえられている。着物も、ボロボロの雑巾みたいだったものが、桃色の振袖姿になり、その表面には藤の花の文様が描かれており、彼女の手には、金色の扇子が握られている。足元の草履も、漆塗りの下駄に変わっている。

 っていうか、顔色もすっげぇ良くなってるし。頬がピンク色で、水気プルプルだよ。

 まるで日本史の教科書で見た、公家の娘のようだ。

 一体カイナの身に何が起こったのか?

「あうあうあうーーッ!! やったのです! ボクは福の神になったのです!」

 まるで運動会で一等賞をとった子供の様にはしゃぐカイナ。

 福の神……?

「そうなのです! ボクは出世したのです、神の次の段階へ進んだのです! これも皆、ご主人様のおかげなのです!」

 突然のことでなにがなんやらワケが分からない僕。取りあえず、

「あー、おめでとうカイナ」

 拍手だけはしておく。

「何なんですか、反応が薄いですねぇ。今のうちにボクの機嫌を取っておくと、後でよいことが起きるかもですよ?」

 と、魚屋の軒先で、アジを狙う猫のように笑うカイナ。ちょっとイラッと来たぞ。

「後でって、そんな事言わずに今くれよ。っていうか、福の神って言うなら、僕が今日、遅刻したこと、無かった事にしてくれよ」

「あーそれは難しいと思います」

 申し訳なさそうにポリポリと頬をかくカイナ。

「何でだよ」

「ご主人様が遅刻したのは、ボクが福の神に昇格する前の話なのです、昇格した後だったら何とかなったのですが……」

「じゃあ、明日からの僕と藤枝さんとの間取り持ってくれよ」

 自分でも結構な無茶振りをしてるよな。しかし、この元・疫病神はさらに申し訳なさそうな顔をする。

「うーそれも難しいのです。ボクは今から新・福の神として、色んなところに挨拶回りに行かなければならないのです」

「何だよ挨拶回りって、プロ野球の新監督かよ」

「でもボクが福の神になった影響は、ご主人様にも出てくるのですよ」

「え?」

「今日一日、ボクといた事に加えて、ボクが昇格した瞬間に立ち会ったことで、ご主人様の運気も上がっているはずなのです」

「そうなのか?」

「なので今日のところは、それで勘弁してほしいのですぅ」

 神様なのに、人間の僕を拝むような視線を送ってくる。そして、そのまま夜空に向かって流れ星のように去ってゆく……。

 ってオイ! それだけかよ! 今日一日さんざん人を振り回しておいてさ。

 まったく神様なんていったっていい加減なもんだ。

 あぁ疲れた、今日一日で何年分も年をとった気がする。何て濃密な一日だったんだろう。

 僕の頭上には、いくつもの星が無言で輝いていた。

 

 その次の日、僕は重い足取りで学校への道を歩いていた。

 謝罪のパターンは十六通り考えた。そのそれぞれについて昨日の晩、綿密なシミュレーションを繰り返した。

 階段を上り、二階の教室に向かう。

 しかし、教室の前まで来ても、入り口を開ける勇気が無い。もし、空けた瞬間に藤枝さんに会ったらどうしよう。いや、決まってんじゃないか、まず、昨日ブッチした事を謝ってだな。それから……。

「何してるの佐々木君」

 と、軽快な声がかけられた。振り返ったそこにいたのは……。

 僕のアイドル、藤枝ミユキ女史だった。

 ゲッ! これは予想外の展開だ。僕のシナリオには無かった展開だ。額から脂汗がダラダラと垂れてくる。

「教室入らないの?」

 何事もなかったかのように僕に言う。アレ? 怒ってない? いやいや、そんな訳あるかよ、日曜を丸一日無駄にさせたんだぜ。怒り狂ってるに違いないじゃん。これはもう、自分から切り出して誠心誠意謝ったほうがいいよな。

 幸いなことに授業開始まで、まだ時間がある。

「藤枝さん、ちょっといい!?」

「え、何? ちょっと佐々木君!?」

 僕はほぼ誘拐同然に藤枝さんの手を引いて、東側階段の踊り場に来る。こっちの階段は校門から遠いため、朝は全然人が通らないのだ。

「昨日はホントウにゴメン!!」

 僕は両手を合わせて、地面に額をぶつける勢いで頭を下げた。

 ……何の反応も無い。

 これは相当怒ってるんじゃないの? いや、まぁ当然なんだけど。

「昨日、めちゃ心配したんだからね?」

 当然です。

「電話も出ないし、LINEも反応無し、メールも帰ってこないし」

 はい。

「何があったの?」

 いや、そのぅ話が非常に長くなるがよろしいでしょうか?

 ……待て、ここは下手な言い訳はしない方がいい。疫病神がどうたらって言っても信じるわけがない。また、女の子助けた件にしても、証明が出来ない以上触れない方が賢明だろう。

 ここは寝坊したことにしておくか? いや、待てそれは……。

 しかし、次に藤枝さんから信じられない言葉が出てきた。

「怪我した女の子、助けてあげてたんでしょ?」

 え?

「おまけにその後、手術の為に、輸血したんですって?」

 え? え?

「あ、ついでに言っておくと、バイクのひき逃げ犯、捕まったそうよ、今朝のニュースでやってたわ」

 へぇそうなんだ。って何で女の子の事や、輸血の事知ってんの? 藤枝さんって神様?

「違うわよ、単純な事よ。佐々木君が女の子かつぎ込んだ病院あるじゃない?」

 うんうん。僕は首が千切れんばかりに頷いた。

「そこに私の叔父さんが勤めてるの、外科担当なの。ああ、もしかして会ってるかもしれないわね。頭が白髪混じりの人」

 あの人だ……。僕が女の子を担ぎ込んだとき、受付にいたあのおじさんだ……。

「結構顔が似てるって言われるんだけどね。ハムスターかビーバー、あの辺の、げっ歯類っぽいって」

 僕は信じられない偶然に何も言葉を発せなかった。

「輸血したときに、承諾書に名前と生年月日と学校名書いたでしょ? それで昨日、叔父さんからメール来てさ、『今日ミユキと同じ学校の子が来たぞ』って。それで名前聞いたら、佐々木君の名前が出てきてさ、もうビックリしちゃった」

 そこまで捲し立てるように話した藤枝さん。それから僕の目をじっと見据える。

「佐々木君って優しいんだね」

 ニッコリと笑いながら言う。

「叔父さん、佐々木君の褒めてたよ。今時あんな根性座った奴、珍しいって」

 いやあ、それほどでも。

 でもさ、と藤枝さん。

「昨日、私凄く心配したんだからね。あと、滅茶苦茶待たされたんだからね。五時くらいまで待ってたんだからね」

 と、頬を膨らませる。

 僕の背中に汗が滲んでくるのがわかる。もしかして、次の瞬間、ビンタがとんで来るんじゃ……。しかし、藤枝さんの口から出たのは僕の予想外の台詞だった。

「だからさ」

 うん

「次は遅れて来ないでね」

 満面の笑みを浮かべて藤枝さんは言う。

「次はってことは……」

「今度の日曜はどう? って佐々木君? 大丈夫?」

 藤枝さんに許してもらえた、それだけで僕は天にも昇る気持ちだった。

 

 それから五日後の土曜日の夜、僕は翌日のデートに向けて準備に余念が無かった。

 明日のデートこそは成功させないと、スマホの調子は万全、目覚ましオーケー、来ていく服は、と。

 先週のデートは誰かさんのせいで散々だったからなぁ。何としても汚名返上といきたいところだ。しかし……。

 アイツは元気だろうか。あの無邪気な笑顔を思い出す。福の神になったって言ったけど、ちゃんとやれるんだろうか。絶対なんかやらかしそうだな。思わず笑みが零れてしまう。

 結局あれ以来、カイナは一回も顔を見せなかった。ま、当然って言えば当然だよね。アイツが僕に取り憑いたのは、あの日一日限定なんだから。

 でも、僕のおかげで昇進できたんだから、一回くらい挨拶に来いよな。

 っていくら考えても仕方ないよな。明日は大事な日だ、もう寝よう。

 僕はベッドに入って、アカリを消そうとしたその瞬間、

「ご主人様ーー!」

 聞いたことのある声とともに、天井からどこかで見た幼女が降ってきた。女の子はそのまま、僕にフライングボディアタックかまし、フローリングの上に着地した。オリンピックだったら十点満点かもな。

「カ……カイナ! お前どうし……」

「あうあう! 実はご主人様に力を貸してほしいのです!」

「な、何だよ」

 物凄い嫌な予感がするんですけど。

「この前、ボクが昇格したことによって、ご主人様は、疫病神の業界では縁起物、取り憑いたら必ず昇格できる昇格請負人として有名人になったのです!」

 人をラッキーアイテムみたいに扱わないでほしいな。

「で、それでどうしたんだよ」

「つきましては、この有栖川カイナの後輩を昇格させてあげてほしいのです!」

 カイナが手を振ると、床からぬっと人影がせり上がってきた。

「どうも剣岳クグリ(つるぎだけ くぐり)と、申します。以後お見知りおきを」

 旧日本軍のような軍服を来た、その男は言った。軍人とは言っても、身に纏うその軍服は所々ほつれているし、顔も真っ青で、ゲッソリと痩せている。まるで敗残兵か捕虜といった感じだ。

「おい、まさか、またこの前みたいに……」

 僕は体中から力が抜けていくのが分かった。しかし、子供の姿をした、福の神は止まらない。

「ご主人様、窓の外を見てみるのです!」

 僕は何とか窓まで近づき、がらりと開けて、外を見渡してみた。すると……、人人人、百人近くはいるだろうか、僕の家の周りは完全に包囲されていた。

「あっ、あの人だぞ」「彗星のように現われた、昇格請負人!」「あの問題児のカイナ先輩を昇格させたっていう……」「何とか私めを福の神に!」「いや、僕が先だぞ!」「私が先よ!」

 何かケンカが始まったし。

 っていうかこれ全部、疫病神かよ。

 これ全部僕に取り憑く気? んで、この前みたいにずーっと災難な目に遭うの?

 僕は力なく床にへたりこんだ。

「ボク言ったじゃないですか! ご主人様に一杯、いーっぱい不幸を運んできますよって! だから、ボクこれからも頑張るのですよ!」

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やかましいわ!! 

 

 ちゃんちゃん♪