9月5日(水)③ 打破
そしてしばらくの時間、電池が切れかけたオモチャのように二度、三度尾を振った後……動かなくなった。
「ジュン! 大丈夫!?」
私は大慌てで駆けつける。そうすると命の恩人は、肩でハアハアと息をしながら親指を立てた。どうやら大事なさそうだ。
さすがの問題児も、未知の生物とやりあったおかげで相当なショックを受けているようで、しばらくの間、口が開かない様だった。
「ジュン……どこか怪我したの?」
私の問いかけにも反応しない。
校医の山本先生を呼んできた方がいいのかな……でもこんな場所にジュンを一人で置いて行くのは心配だし……。そう思っていたら、ジュンがひきつった顔でこっちを見ていた。そこには昨日、生徒会室で見せたようなふてぶてしい様子は一切ない。
何か可笑しかったのか、ジュンが急に吹き出す。
「プハハハハ、何かのマンガでさぁ、サメは鼻先を殴られると弱い、って読んだことあんのよね。んで駄目元で試してみたら、ドンピシャ。いやー読書ってしとくもんだねぇー」
ジュンはおかしそうにケタケタと笑った。
サメの弱点については私も何かの本で読んだことあるから知ってたけど、それを現実にやるコがいるなんて信じられないわ。それにマンガは読書じゃないと思う。
落ち着いたようなので、私は疑問に思ったことを問題児にぶつけてみた。
「ねぇジュン。どうしてあなた、助けに来てくれたの?」
「いや~文化祭の準備と称して、カケルとプロレスごっこして遊んでたらさ、窓の外を当のカケルの姉ちゃんが難しい顔して歩いてんじゃん? これは昨日の件が関係してるなってピンと来てさ、慌てて追いかけてきたんだよ」
成程。っていうか人の弟に何してくれてんのよ。
「でも途中で見失っちゃってさぁ。んで森の中やら、藪の中やら探したけど、ナナミンどこにもいなくてよ。どうしよっかって思ってたら、旧校舎の前にナナミンみつけたのよ。近づいて見たらびっくりしたぜ。どうしてってナナミンがサメに襲われてんじゃん? えらいこっちゃってことで助けに入ったわけよ」
そういうわけか。まぁ何のかんの言っても、今私が生きていられるのは目の前の空手少女のおかげなのだ。そのことについては礼を言っておくべきだろう。
「ありがとうジュン」
私は素直に礼を述べた。
「ああ、いーって事よ。そんなの人として当たり前の事じゃんか」
……人として当然……そんなセリフをこんな無頼漢から聞くことになろうとは……。
「それよりもさ」
ジュンは土の上に横たわる魚を顎でしゃくった。
「あれ、一体何なんだよ?」
ジュンの疑問も当然だと思う。しかし、それを私に訊かれても返答に困るというのが本音だ。私は動物学者でも、海洋学者でも何でもない。唯の一女子高生なのだ。なので空飛ぶサメなどという複雑怪奇な生き物について聞かれても、私にはとんと見当もつかない。。
「分からないわ。空を飛ぶサメなんて、今まで見たことも聞いたこともないわ」
私はかぶりを振った。しかし、やんちゃな後輩は、何やら別の事を考えているようだった。目が怪しげにキラリと光った。
「なぁナナミン。これっていわゆる新種の生き物なんじゃね?」
「かもね……いや、絶対に新発見ね」
空を飛ぶサメなんて、確実にノーベル賞モノの、世紀の大発見だ。
「なぁ、だったらさぁ、アタシらが第一発見者だよな?」
ジュンの目が夏休み前の最後の終業式を終えた小学生のように輝いている。
「まぁ……他に発見者がいなかったらね」
「なぁ、だったら賞金とかいくらくらい貰えんのかな?」
うーん、詳しいことは知らないけど、賞金は貰えなかったんじゃないかな? よくて自分の名前をつけられるくらいじゃないかしら?
「なんだよそれ、そんなのいーから賞金くれよ」
「だってそういう決まりなんだから仕方ないじゃない。私に文句言わないでよ」
「じゃもういいや、その代り、とびっきり笑える名前にしてやるよ、このアタシを食べようとしたんだ、それなりの報いを受けてもらわないと気がすまないよ」
と、鼻を鳴らす。
「どんな名前にしてやろうか? ソウマジュンチョーカッコイイザメなんてどうだい?」
頼むから日本の学術史に汚点を残すようなことはしないで……。
「とにかく一旦、校舎の方に戻りましょう。それで先生に報告して……」
そこまで口にした時だった。
「ぐっ」と、ジュンが低く唸ったかと思うと、まるで何かの発作を起こしたかの様に、地面に膝をついた。
何? どうしたの?
ジュンに近づいて――。
「ひぃッ!」
思わず声を上げてしまった。
――私の目に、世にも恐ろしい光景が入ってきた。
ジュンの背中にヘビのような細長い生き物が一……二……三匹、食いついている。棘のような牙でジュンにしっかりと噛みついている。まるで絶対に逃がさないと宣言するかのように。