9月7日(金)① 夢
一、
……夢を見た。
周りは青、青、青。
右を見ようと左を見ようと、上を見ても下を見ても、目に入ってくるのは青に塗りつぶされた景色ばかりだった。
体に重力を感じない。ちょうどエレベーターに乗ったときのようだ。宇宙遊泳をしたらこんな感じなのかしら。
ここは海の中だな。とふと思った。そうだ、私が今いるのは海の中。残念ながら綺麗な熱帯魚や、宝石のようなサンゴは見えないけれど、確かにここは海の中だということだけは分かった。
上下も左右も知覚できない。ただ、無限に続く海の中で、私は群から離れた小魚のように、漂っていたのだった。
ふと私は、小学校のころの理科の実験を思い出した。
どんな内容の実験だったのかは忘れてしまったけど、大きな水槽に、スポイトで墨を垂らしたことだけは覚えている。
私がたった一滴垂らすと、その墨は、水の中でわずかにうねったかと思うと、すぐに透明な水に混じって消えてしまった。それはまるで墨など最初からそこに無かったかのようだった。
ふいに私は怖くなった。
無限に続く青。その中にたった一人取り残された私。
広大な海の中に、一人で漂う私。
私は急にひどく自分が頼りない存在に思えた。そして、この気が狂わんばかりに茫漠とした海の中に取り残された自分のことが、水槽に一滴だけ垂らされた墨のように思えてきた。
急に私の体に重力が戻ってきた。
目を凝らして周りをみる。暗くて見えない。私の部屋とは違う匂い。汗とシミの匂いだった。
なぜこんな所にいるのだろうと思った一秒後、ああそうだ、私は文化祭を邪魔する山鰐という怪物を倒すため、学校に来ていることを思い出した。
暗くてよく分からないが、ジュンもチカゲちゃんも寝ているようだ。この「ガーガー」とガチョウのようなイビキは多分、ジュンだろう。
スマホを探す。
確か寝る前に枕元に置いたはずだ。そこら中に手を這わせる。が、私の指は空を切るばかりだった。
しばらく探っていると、手に覚えのある感触。あった。
バックライトを点けて時間を確認する。二時三十二分。まだこんな時間だ。ジュンとチカゲちゃんには七時に起きるように言ってあるから、まだ大分時間がある。
しかし、山鰐退治はうまく行くのだろうか……。今更ながらに心配になってきた。まぁそこはプロのチカゲちゃんと私たちを信頼するしかないのだろうが……。
私はふと、柔道場の壁を見た。ガラスの窓から外の様子が見える。
そうすると、不思議な光景が私の目に入ってきた。
窓の外で、何かが光っている。
白い光だ。真昼の太陽な白さの光が、窓の外で瞬いている。その正体不明の光は、夜中の押しボタン信号のように不規則に明滅していた。グラウンドの夜間照明とか、そういう人工的な光ではない。そもそも今の時間に、そんなものが点けられているはずがない。
大きさから考えても、月でもない。いつも夜空に浮かんでいる月よりも、ずっと大きい。ではこれは一体何なのか。
もうひと眠りしようという考えは吹き飛んだ。私はすっかり冴えてしまった頭で、正体不明の光について思考を巡らせた。
そうしている内に、光が動き始めた。その光は夏の蛍のようにユラユラとまるで幽霊のように、そとの空間を漂っている。
私は急に背筋に寒いものを感じて、隣にいるジュンの布団に手をかけた。
「ジュン、ジュン。起きて頂戴」
ジュンを揺り動かすが「うーん。もう食えねぇよ……」というお決まりの返事が返ってきたので、今度は彼女のみぞおちがあると思われるところに掌底突きを見舞った。っていうかさっきあれだけ食べたのに、夢の中でも食べてるなんてどれだけ食い意地が張ってるのか。
「ナナミさん」
チカゲちゃんは目を覚ましていて、狼のような視線を私に向けていた。やはり彼女も何かただならぬ気配を感じていたのだろう。
「ケホ……。なんだよ、どうしたんだよ」
「アレ」
ようやく目を覚ました寝坊助に、窓の外を指さす。
さっきの謎の光は、相変わらずふわふわと窓の外を漂っていた。
「なんだよアレ……。人魂?」
珍しくジュンがひきつった声を出した。
「いえ、アレはそんな生やさしいものじゃあありません」
チカゲちゃんが刺すような視線を窓の外に向けながら言った。彼女の言葉を裏付けるように、チカゲちゃんはどこからかお札を出して、いつでも使えるように構えていた。いつぞや、旧校舎で私とジュンを助けてくれたときにつかったお札だろう。
そうしている内に、例の光は武道場の正面入り口にやってきた。
ここでふと、私はこの光の正体に見当がついた。